2014年12月26日金曜日

非常時局読本(第十六回)「日本に於ける自由主義の罪悪」

非常時局読本 海軍少将 真崎勝次著
慶文社 昭和14年3月15日発行

92ページより

十六、日本に於ける自由主義の罪悪

 自由主義より生じた害悪で、我が国で一番大きいのは 天皇機関説である。之が国家非常時の根本である事は先に言った通りであるから贅言(ぜいげん)せぬが、次は普通選挙である。之も今までの話で大体明らかであると思うが、本当に日本の国体の分かった者には考え得られないことである。つまり親と子が政見が違えば喧嘩しても宜しいという法律を作ることは国体の根本を無視している。之は政党華やかなりし時代に、自分達の政権争奪の為に鹿を追う猟師は山を見ずで、斯くまで脱線したのであるが、其の罪は非常に大であると思う。
 また次には世界の自由主義国の現状維持派が巧みに日本を籠絡するために造り上げた国際連盟の翻弄である。之も自由主義に基づく過誤にして、日本人が自由主義乃ち方便主義、ご都合主義に堕して長い者にまかれた訳である。この国際連盟というものは、世界の現状を維持するために造ったのである。世界大戦後に一番都合の良い事情にあったのは日本であった。財力も大いに出来、武力も大いに余裕があり、一方ヨーロッパ諸国は大戦後でへとへとになっている。此の機会に乗じて日本が支那に今日の様に進出されてはアジアは日本の思うままになる。だから此の時に一つ日本の頭を抑えて置かなければ、将来白人は支那から追い出されると驚いて日本を抑えつけ様と苦心したのである。ところが大戦後で抑えるには彼等に武力が足らないから、思想で巧みに撹乱して制御して行こうと云うので現状維持の口実を巧みに作って日本の自由主義者を籠絡しにやって来た、其の罠に日本が掛かった訳である。其の当時ならばアジアは日本のアジアであった訳である。それで日本の特長を抑圧せんがために、色々な標語を作り、やれ軍国主義はいかん、或は帝国主義はいかん、侵略主義はいかん、という風に宣伝してそれが世界平和の根本原理だ、或は国際正義だ、社会正義だと云って瞞着(まんちゃく)して自由主義にかぶれておった当時の日本の有力者をすっかり籠絡してしまったのである。
 それから次には軍縮会議であるが之も本当に皇軍の本質を知っておれば、軍備を外国の何割で宜しいというような気分になれるものではないはずである。皇軍は読んで字の如く 天皇の軍隊であり、国体擁護のため、天業恢弘(かいこう)、皇道翼賛のために存するのである。外国の様に政府の軍隊であり、政策のため侵略主義のための軍隊ではないのである。外国の軍備と相対関係に考うべきでなく、絶対自主の立場に立って考うべきである。我が国独特の皇道翼賛を基礎にして考うべきものである。其の本質も破邪顕正(はじゃけんしょう)、人類平和に貢献しこそすれ、是に害毒を流す性質の軍隊ではない筈である。それを自由主義のご都合主義になれば、直に外国の宣伝に乗って、其の本質をも忘れ日本の軍備の特質おも忘れる様になり、長い者に捲かれる気になり、遂に外国の侮をも買う様になるのである。

2014年10月23日木曜日

非常時局読本(第十五回)「自由主義の発達と日本精神」

 今回は自由主義と日本精神の違いについての話です。

非常時局読本 海軍少将 真崎勝次著
慶文社 昭和14年3月15日発行

83ページより

十五、自由主義の発達と日本精神

 次に個人の完成、個人の利益を至上と考える者がある。それをもって正義なり人道にかなっていると考える者がある。そうなると所謂個人主義が起こり、利己主義ともなる。それが所謂今日の自由主義の元である。これは所謂個人の完成、個人の利害を基調とし立った思想であるから、唯物至上主義であり「花より団子」主義である。また自分の利益のためには「長いものには巻かれる」主義である。また臭いものには蓋をして都合よく世の中を渡って行こう、また物を独占したいというのが自由主義の持ち前である。自由主義が日本に来たのは主として明治維新後である。明治維新に於いて志士達が尊王攘夷王政復古でもって幕府を倒したけれども、真の王政復古にはならなかった。そこで何のために御一新かと言うので奮起したのが、神風連の乱であり、佐賀の乱であり、鹿児島の乱であるのである。そうして十年の役に於いて日本精神の権化である大西郷が倒れて以後というものは所謂自由主義が日本に於いて跳梁をし始めた。流石に偉い岩倉公あたりでも外国の文化に迷わされて、そうして外国の自由主義の文化を基調とする総ての機構を日本に取り入れて所謂議会中心主義になる因を作った。ただし明治時代には機構は外国の自由主義文化を基調とするものを輸入せられたけれども、それを運用するものはまだ日本精神を持った者が多かったために、その弊害が比較的少なかったのである。しかしながら欧州大戦というものは段々進展して来て、デモクラシイとなり、また真っ赤なマルキシズムとなって、非常に盛んに社会主義を輸入した。そうして当時は軍人中にも自由主義でなければ戦は勝たぬように思った者が出て来た程である。つまり世界大戦に於いては自由主義たる連合国側が勝った、それでドイツは自由主義国でなかったから負けたように考えたのである。(今日はドイツが威張って来たからその真因は極めずしてファッショに心酔する様になって来た)かくの如く軍人の中にさえ赤くなった者があって、国体明徴どころではなく、また真面目な軍人中にも何故に忠義を尽くさなければならぬか等という疑問を発して現に私に聞いて来た人さえあったのである。最も真面目であった軍人までがそういう風な思想に迷うような状態になって来たのである。迷う人は未だよろしいが、中には迷わずにこれが本当に正しいと信じきっておった者さえある。そういう随分危険な時代があったのである。
 またカントの新学説というものが日本に輸入された。その時代には文化というものと、武というものとは両立しないかのように考えた軍人も沢山おったのである。そうして国体を忘れて所謂国体なき国に発達したところの思想に基づいて唱えられた、彼のウイルソンの正義人道主義にかぶれて、前述の如く日本の 陛下に忠義を尽くすことが正義人道に適っているかどうか、というような議論をする者さえ出て来た程である。国体を考えずによくこれを理解せずに人道観に捉われ正義感に堕するとかく脱線する。実に危険な時代があったのである。さような場合には力の限り一生懸命になって、建国の理想信念から説き起こし、この理想信念は前述のように宇宙の固成生成化育そのままの真理であるから、これを外にしては正義もなく人道もない事を良く述べたが、なかなか一度や二度では完全には分からない。今頃でもこれに似通った質問をする人がある。マルキシズムが何故いけないか、それははっきり一遍説明して下さいと言う者があるが、しかし近頃は私は直接問題を説明せずして血の中にある日本精神即ち人間の赤心を喚起せしむる様にしている。いやしくも人間が自分の親に孝行を何故せねばならぬかという疑問を持つ様になったり、また日本に生まれた者がなぜに君に忠義を尽くさなければならぬかという様な疑問を持ったりする様になった時は、その人のその時の心理は獣以下になっているのである。人間は修養の積んだ者は神様に近き心理状態になっているが、修養を全くしていない者は忠犬ハチ公以下の心理状態になっている。犬にも劣る心理状態であるのである。その獣より劣っている心理状態の時に、何を言っても聞かした所で、とても分かる道理がない。所謂猫に小判である、馬に念仏である。しかしながらまた時が経って人間の心に帰る時が来るのである。その人間の心に帰った時に話せば分かるのである。それが獣と人間との異なるところ、また外国人と日本人との異なるところである。外国人には真の忠義は解しかねるが、日本人は時が経てば自然に分かって来て本心に帰るのである。以上の様な思想状態に反発的に起こって来たのが今日の右翼である。大体日本の自由主義はこの様にして発達して来たのである。
 さりながら自由主義の自由と人間の高級の自由というものとは区別して考えなければならぬ。高級の自由は人間には絶対に必要である。自由主義の自由というものは社会の束縛から逃れたい、自由放縦なる自由というものが多い。すべての権力の束縛から脱せんとする、故に無政府主義もそれから出て来るのである。自分さえ良ければ人の邪魔にいくらなっても構わない様になる。極端に自由なる社会の様式は猛獣の社会となる訳である。自由主義の中で一番害を流しているのは資本主義である。即ち金を儲ける事の自由、どんな事をしても金を儲ける、またこれを貯える事の自由、しかして最後には金を利用する事の自由である。どんな事でも金で解決しようとする、この点で政治を腐敗せしめ、世道人心を害した点は実に大なるものであります。しかして前に申した様に人間には高級の自由即ち真の自由、孔子の所謂「意の通りに行って規を喩(こ)えず」(註 心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず)という自由ならばなくてはならないのである。もしこの高級の自由もいけないと言う事になると人間は機械となり羊の群れとなる訳である。だから実際の問題になると自由は統制との限界を何処に求めるかという事が問題であって、これを適切に実行して行くのが政治の要諦であると考える。軍隊の名指揮官といわるる者は、各級指揮官は素より一兵卒に至るまで、その者の全能力を発揮せしむる様に、自由に手腕を発揮しうる様に、各自の思う存分に天賦の能力を発揮する様にしてやって、しかしてそれが指揮官の意図に合する様に指揮統率をする、これがため、平素よりこの目的に合致する様に教育して置いて、いざと言う時には一令をもって全部が共同の目的に合する様に動かすのである。これが一番名指揮官である。軍司令官が一々一兵卒に至るまで、地物の利用までも教えておっては戦は負け戦であり、そんな指揮官は軍人として三文の価値もない事になる訳である。
 これと同様に政治家というものは、やはり人民をして天賦の能力を思う存分に発揮させて、その働きが国家発展の目的に合する如く、日本に於いては皇運扶翼の目的にそうように指導して行くのが名政治家である。各自の天賦の能力を殺しては決して総体としてその能率は上がらぬ、個性を余計に束縛するほど下手な政治家である。そのためには一国の政府も軍部と同様に常に平素より緩急ある事を予想して常住座臥公に奉じ得る様に計画し指導して置くべきである。もちろん国家全体は軍部と同様に全部を考える訳には行かないけれども、平素よりその考えをもって計画し指導をしていれば、計画と統制を間違えてはならぬ。愈々戦時になったからと言って、急に慌てて統制統制といわなくてもよい訳である。それにはまず平素より思想の統制が何よりも必要で、これができておれば前にも述べた様に余りの事はこれが派生事実に過ぎぬから、自然にその思想の目指すところに結果は統一されて来る訳で、法で統制せず精神的に統制せらるる訳である。軍事はご承知の通り平素からこれを考えてあるから戦時になってやたらに統制統制といわなければならぬ事はないのである。しかして実際問題としては極端なる統制も国を亡ぼし、また極端な自由も滅ぼすのである。そして程のよい指導精神が日本精神である。立法をするにもまた法を運用して行くにも、日本精神をもって立案運用して行くのと、権力至上主義や法律中心主義の精神をもって実施して行くのとは、その結果に於いては大変な差である。最後に注意すべきは自由主義も権力至上主義も共に物の独占に陥る点である。


 今現在も自由放任主義に近い自由主義、強欲資本主義とそのアンチテーゼの「サヨク」思想が日本人の精神を荒廃させています。これらの思想は人を幸せにしません。何とかこの思想の乱れを正して、日本人が「幸せ」を実感出来る社会にしたいです。

2014年9月18日木曜日

非常時局読本(第十四回)「大義名分と正義人道」

「力を持つ者が正義」とは限らないのが日本の場合です。権力を握った者も大義名分があったかは死後もずっと判断され続けるのが日本だそうです。

非常時局読本 海軍少将 真崎勝次著
慶文社 昭和14年3月15日発行

79ページより

十四、大義名分と正義人道
 
 大義名分に規尺に適わぬものは如何に理屈をつけても日本に於いては通用せぬ。それで外国に於いてはこれがないから種々の勝手な思想が出るが、日本に於いては日本精神だけが許されるのであって、実は外国のように思想に穏健も中正もなく、ただ正と悪との結論あるのみである。外国では単に正義人道を規尺として物を判別する。ところがこれも詮じ詰めれば何が絶対に正義か、人道に叶っているかわからない。ただ時の勢力家の思想によって定まるのである。それだから外国に於いては雨後の筍の如くに各種の思想が現れ、うまく考えた奴は天下を取る。また力の強い奴は天下を取る。そういう格好になって行くからしてそこに何時でも易姓革命が起こって来るということになるのである。ドイツのベルンハルデイ氏のような人は、大戦前に「力即ち正義なり」と言っている。力を好む武人から見るとこれも道理かと思うのである。少なくとも力の伴わざる正義は正義にあらず位に考えるのである。私どももやはりその当時はそうな風に思った時代があったが、その後種々と思想で辛苦して、考えている間に気が付いたのである。そういう風に「力は正義なり」となって来ると、力の次に来るものは権力である。だから権力を一番重んずるようになる。そこで権力至上主義というものが生まれる。これが今日のファッシズムの根源である。即ち権力至上主義になればそこに武断政治も起こって来る。武は力である。権力である。そこに官僚独裁も起こって来る。権力を持っておるものは一番偉いと思う。所謂英雄豪傑主義が起こって来る、英雄豪傑を崇拝する観念が非常に強くなって来る。従ってまたいわゆる天上天下唯我独尊の思想が起こり、遂には「勝てば官軍主義」にもなる。何でも構わぬ勝ってしまえば良いのだという事になって来て、世の中は混沌たるものになってしまうのである。しかして権力その物が唯心でなく唯物であって結局は経済至上になり物を独占したくなる。外国のような国家では勝ちさえすればよいのであるから、何とか理屈をこねて色々の思想を編み出したり、或は色々の結盟をやって力を作って天下を転覆してしまって、英雄豪傑になる事が許されるのであるが、日本ではそれは大義が許さぬ、国体が許さぬ、一時勝っても後世は足利尊氏になって子々孫々まで排斥される。日本と外国とはこれだけ違うのである。さような主義思想というものは決して長くは続かないのである。覇道で取ったものは覇道で奪われ、暴で取ったものは暴で取られる。それは日本のように永久に天地と共に栄える国とはまるっきり違うのである。まだ詳しくいいたい事はたくさんあるのであるが、あまり具体的に言うと親善国を悪口するような結果になって、事志と違い君国のためにならないから、これ以上は差し控えるけれども、日本の国体と相容れぬ思想である事はよく承知せねばならない。

 この大義名分の考えで言うと、足利尊氏だけでなく、平清盛、源頼朝、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康のような武家政治の権力者でさえ、大義名分を疑われてしまいます。
 「日本精神」「大義名分」については、もっと研究していかなければなりません。
 皆さんはどう考えますか。

非常時局読本(第十三回)「大義名分を正せる水戸義公」

今回は水戸黄門で有名な水戸光圀公についての話です。

非常時局読本 海軍少将 真崎勝次著
慶文社 昭和14年3月15日発行

77ページより

一三、大義名分を正せる水戸義公

 次に水戸義公に付いてもそう思うのである。彼の「大日本史」を書かれて大義名分をはっきりさせたということは、これは歴史を通じて実に偉大なる功績であると思う。即ち南朝を正統とし、北朝を閏位として、足利は逆賊であり、楠公は大忠臣であるということを明らかにされた。しかも自分は徳川の御三家の一でありながら、徳川は宗家であるけれども君臣の関係ではない。皇室は天子であって、皇室と我々とは君臣の関係だということをはっきりと言っておられる。これは今からいうと何でもないようであるが、当時は非常な困難な事情にあったろうと思うのである。幕府の親戚でありながらそういうことを言われたのであるから大いに困った。幕府よりの迫害を相当受けられたであろうと思うのである。ただし普通の人なればもちろん死刑になったことと思う。だから日本臣民として水戸義公の功績は大義名分上非常に偉大なるものと思うのである。その点を大いに伝えなければならぬのに、近頃活動写真でも、浪花節でも、芝居でも、方々で水戸黄門記をやっておるところを見るが大抵は義公が下情に通ぜられることに努力せられ、また智者であったこと、政治に力を入れられた点等は良く滑稽化して礼賛してあるが、この重要な点はあまり説いていない。これによって見てもいかに人を指導する地位にある人が、或は一般の知識階級の者も、大義名分ということに重きを置いていないか、興味がないか、関心がないかという事をはっきり現しているように思われるのである。これもやはり非常時の大原因である。何時でも大義を忘れるとそうなって来るのは当たり前であるから、どこまでも日本人というものは大義名分を根本にして考えなければならない。日本ではどんな理屈もこの前には服従する。それだから天地と共に悠久に栄えるのである。

 子どもの頃から水戸黄門は良く見ていましたが、水戸光圀公の本当の偉大さを全く知りませんでした。水戸光圀公は日本の「大義名分」というものを日本の歴史から、特に楠木正成の生き方から発見し、後の水戸学を通じて幕末の全国の志士達に多大な影響を与えました。遅まきながら私も「大義名分」を大切にした生き方をしていきたいと思います。
 いつか水戸光圀公が編纂を命じた、漢文で物凄い分量の「大日本史」を読んでみたいです。

2014年9月4日木曜日

非常時局読本(第十二回)「大義に殉ぜる大楠公」

今回は楠木正成についてです。

非常時局読本 海軍少将 真崎勝次著
慶文社 昭和14年3月15日発行

70ページより

一二、大義に殉ぜる大楠公

 日本人は大義名分を本として思想をよく理解し、ものを判断し、説明してやらぬと飛んでもない間違った所に行くのである。もしあの場合に南洲翁が勝っておられたならば今日で言えば所謂西郷内閣が出来たであろうけれども、やはり後には足利尊氏同様に乱臣賊子の中に数えられ日本人全部から爪弾きをされて、誰でも尊敬等はせぬどころか悪罵の的になっておったろうと考えられる。そこまで、はっきりと南洲翁を見てくれる人は少ないようである。それが日本人の生命であるところの所謂大義を現代人が軽く見ている証拠である。また大楠公の場合もそうである。大義を抜いて大楠公を考えるならば、大楠公の死も、権助が首をくくって死んだ死も、死としては差別はない。大義名分から見てこそ楠公の死は万世に尊いのである。また今日支那事変に於いてたくさんの尊い戦死者があるが、これも大義名分のためであるから尊いのであって、これを抜きにして考えるならば何の意味もないことになる、大義のために戦う聖戦のための戦死であるからこそ万世の尊い戦死であるのである。結局日本に於いては大義名分に総てのものの判断の基調があるのである。
 またこれは自分が外国に勤務しておった時の話であるが、外国にいると日本精神を忘れやすいから、外国文字ばかり読まずに日本の本を読もうと思って折々に日本書を愛読していた。取り分け詩の本を愛読しておったのであるが、その中に頼山陽の「下(二)筑後河(一)過(二)菊池正観公戦處(一)感而有(レ)作」と題する詩の中に「丈夫要貴(レ)知(二)順逆(一)小貮大友何狗鼠」という文句がある。私はこれを中学時代から非常に喜んで読んでいたが、特に海外に於いて各種の困難な事に遭遇し辛苦をしておった折り読むとその感が大変な違いである。たまたま一夜遅く風呂に入ってこの詩を歌っておったが、突然「楠公の偉いところはここだな」ということに気付いたのである。それはどういう訳かというと、つまり歴史の上では順逆の道というものははっきりする。歴史がこれをはっきり教えてくれるからである。けれどもこれが今日の出来事となると、どれが順であるか、どれが逆であるか、誰が大義に適っているか、適っていないかということを一々判別するには余程大義に徹底し、国体に徹底した人でないと分からない、これが非常に大切なことである。楠公といえども当時はあの空気では大逆賊と言われておられたに相違ないと考えた。事実は足利二百五十何年の間は「楠家は非常に人を殺す系統であって吸血兒の血統を引いた家だ、こういう血統は絶やさなければいかぬ」というので非常に残酷に取り扱われていたのである。
 当時大楠公に従った者は三千騎くらいであった。今日で言えば大楠公は連隊長位の地位しかない。これに反して足利尊氏はご承知の通り貴族の出で、今日の大臣級の地位である。そして当時の日本の空気所謂与論思想というものは六十余州挙って(こぞって)尊氏に就く程唯物的になっておったから左様に考えたのであったが、後日日本に帰ってから建武中興の歴史に詳しい平泉博士にこのことを聞いてみると、あなたの説の通りである、足利時代二百何十年間は大楠公は大逆賊になっておられたと言われた。天下晴れて楠公が大忠臣と謳われる様になったのは実に水戸義公が「嗚呼忠臣楠子」ということを称えられて大義名分をはっきり天下に示されて初めて楠公は大忠臣であるということになったが、それまで実に三百年という長い間大楠公は大逆賊として扱われておったような次第である。だから大義に余程徹底していないと、今日自分のやっていることが順であるか、逆であるか、これを知ることは非常に難しいのである。「丈夫要貴(レ)知(二)順逆(一)」なるほどあの暗澹たる世の中に、日本六十余州挙って尊氏を助ける時代に、楠公だけが大義名分を弁えられて「一族郎党末代までも大義のために殉ぜよ、七度生まれ代わって大義の賊を討伐しよう」というような所に大楠公の正しい、絶対無限に尊い所がある。楠公の死はそのためのの死であるから絶対に尊いのである。ただ戦死者というばかりなら今日までたくさんの戦死者があるのである。しかして翻って今日はどうかと考えて見ると、今日は足利時代以上にこの大義名分というものが暗黒になっているのではなかろうかと思う。というのは、皆さんもこの数年来の日本の種々の出来事を御覧になると、新聞記事等で見ても大義名分はどこにあるかと思う様な事が沢山あるのである。ところが知識階級もそんな事があっても、その事に一向に気がつかぬほどに大義心が麻痺している。また気が付いてもそれを大事件と考えないのである。これは先より申した様に大義を軽く考えこれが乱れているからである。
 御一新後明治十五年に 明治天皇が軍隊に賜りたる御勅諭の中に「朕、幼くして天津日嗣(あまつひつぎ)を受けし初征夷大将軍其政権を返上し大名小名其版籍を奉還し年を経すして海内一統の世となり古の制度に復しぬ(御一新が出来た事)是文武の忠臣良弼ありて朕を補翼せる功績(いさを)なり歴世祖宗の専蒼生を憐れみ給いし御遺沢(ごゆいたく)なりといえとも併(しかしながら)我臣民の其心に順逆の理を弁え大義の重きを知れるか故にこそあれ」・・・「兵馬の大権は朕か統ふる(すふる)所なれは其司司をこそ臣下には任すなれ其の大綱は朕親(みずから)之を攪り(とり)肯て(あえて)臣下に委ねへきものにあらす子々孫々に至るまて篤く斯(この)旨を伝え天子は文武の大権を掌握するの義を存して再中世以降の如き失体(武家政治即ち中間権力政治)なからんことを望むなり」・・・と仰せられておられる。即ち明治維新が出来たのは大義名分を国民が知っておったからだと仰せられている。これを詳しく言えば 陛下の官吏 陛下の臣民ということを知っておったからであると仰せられておられるのである。
 もし人臣が「自分等は徳川幕府の臣民だ、徳川幕府の役人だ」こう考えておったならば、この御一新は出来ても大変な混乱に陥ったのである。特にこの点を軍人が誤るといけないから軍人に賜ったものである。次にまた再び中世以後七百年の間武家政治の様に幕府を作るようなことにならぬようにせねばいかぬぞ。そのために統帥権は独立して朕親から之を握るぞ、そうして司司を臣下に委す、こう仰せられて軍人の注意と人民の心掛けを教えられたのである。また斯くの如く陛下御自身が兵馬の権を御握りになるから皇軍というのであって、この点に関しては軍人の最も注意しなければならぬ点である。既に皇軍たる以上は皇道翼賛のための外には動くことはない筈である。故に皇軍の戦は常に聖戦であるべきであって、何も今度の事変に限ったことではないのである。

 楠木正成、水戸光圀、維新の志士と受け継がれて来た「大義名分」。それを天皇陛下の下で臣民が「大義名分」に沿って行動する。
 残念ながら、戦前も今もこれを理解出来る人と出来ない人がいる。親の愛情をたっぷり受けながら育った人はわかるけど、残念ながら親の愛情をあまり受けずに育った人は理解出来ない。

2014年8月22日金曜日

非常時局読本(第十一回)「大義名分に終始せる大西郷」

今回は西郷隆盛の大義名分についてです。

非常時局読本 海軍少将 真崎勝次著
慶文社 昭和14年3月15日発行

56ページより

十一、大義名分に終始せる大西郷

 誤れる英雄豪傑主義

 世間では南洲翁に関してもいろいろ解する者があるようであるから、これを正しく是正して置かぬと後日大なる影響があると考えるので、この点を明らかにして置く。それは南洲翁に関することで、ある人は「我が国に於いて五一五事件や或は二二六事件をやるようなことを教えたのは大西郷だとこういうようなことを言った人があると聞いている。しかしながらそういう見方をする人は自分自身が所謂ファッシズム、英雄豪傑主義に堕し、唯我独尊主義、勝てば官軍主義に陥って自分自ら日本精神を失っていることに気が付かないからである。そう言う思想を持った人から見ると南洲翁がああいうことをやって、英雄豪傑になられたから日本人が尊敬する位に思っている。思想の持ち方が違うと同じものを見てもかくの如く大なる間違いをしてしまうのである。
 ドイツやイタリアに於いてヒットラーやムッソリーニ等を指して英雄豪傑だと尊敬するのは、、それは結構なことであるが、日本に於いては無条件に全面的にヒットラーやムッソリーニを礼賛してその通りの行動を日本人として賞揚すると言う事になれば、それは「足利尊氏出ろ出ろ」と言って奨励するのと同じことになるのである。かくの如く大義名分が分からぬと目前の事実に全く眩惑せらるるのである。日本人は歴史の事実となると大義が教えてくれるから物の善悪順逆が分かるけれども、現在今日のことになるとはっきりと大義名分が分かっておらぬと、そういう滑稽じみた区別さえ付かなくなるのである。だからヒットラーやムッソリーニを、それは外国人として区別して尊敬しかつ惚れて、その人格、識見、力量等の長所を日本精神と通して国体に悖らぬようにして、これを取り入れて行くことにしなくてはならぬ。人格と混同して国体も弁えず、思想にまで惚れ込んでしまうようになるとつまり「日本に五一五事件や二二六事件を起こしたのは大西郷が教えたのだ」というような判断をすることになって来るのである。それならば何故に大西郷という人は日本人からあんなに大楠公と共に尊敬されているかというと、これは日本精神から見るとはっきりしているのである。しかし先に言ったように日本人は口には言わぬけれども、日本人の血の中には日本精神が通っているから、無言の中に大部はやはり正しい解釈を致している者もあるのである。ただ外国の思想に非常に囚われて血走っている者が間違った判断をして、西郷は英雄豪傑だから偉いと思い込んでしまうのである。能く能く考えて見るとすぐ分かる様に、日本人として一番大切なことは大義名分を知るということであり、次には男子としては情誼に厚いということである。

 日本人と外国人との情誼の差違

 この情誼について、少し横道に入るがお話をすると外国人と日本人とはこの点に於いて大変に違っているのである。外国人には恩義という言葉もない。義理という言葉も持たない。故に外国人は日本ほど恩義も知らなければ、義理も知らない。その一例を言うと、私はロシアの革命中にロシアにおって、その時分あるロシア人からロシアの復活祭によばれたことがあった。そうしてよばれて行ったところが大佐の未亡人が女中に雇われて来ている。その時に、その未亡人が六つくらいの男の子を連れて来ていたが、その子が丁度当時じょ私の長男と同じくらいであって余計に可哀想になって、恰も熊谷蓮生坊のような考えを起こした。大佐の未亡人と言えば革命さえなければ立派に暮らせる人であるが、革命のためにこういうところに子どもを連れてまで女中奉公をして過ごしているか、可哀想な者だと思い、非常に同情して当夜持っておったところの金を全部くれてしまった。そうするとその母親は子どもを連れて来て「おじさんにありがとうとお言い」というような訳で、その晩は普通にお礼を言ったのである。ところが翌日市中を歩いていると図らずもその夫人が買い物の籠を持って帰って来るのに会った。私は日本人だから日本精神的に考えて「昨晩はありがとうございました」とまた言うだろうと思って、そう言うことを内心予期しながら挨拶しようと思って近づいて行った、すると向こうは黙ってすっと歩いて行ってしまう。こっちは恰も恥をかかされたような格好になってしまった。可笑しい事だなと思って見ていたが、その後ずっと長い間研究をしてみると、彼等ほ心理状態は昨晩はなるほどお世話になったが、それはありがとうと言ったからそれで総決算は済んだというのが彼等の考え様である。これは一つも間違いのない彼等の心理状態である。
 これが日本人ならば、自分がお世話になれば自分の子どもにまで良く言い聞かせて「自分はあの家にはこれこれこういう御恩になったからお前達もその恩を忘れてはならぬ」いわゆる主従は三世までというくらいに教えて恩義というものは尊重して暮らしている。日本人はそういう情誼の厚い国民である。また外国人には人情の発露たる心中というものは一つもない。もとより心中のいうことは良い事ではないけれども、向こうにはそういうものは一つもない。なぜかと言うと、つまり実利主義にものを考える。唯物的に考えるから「生きておってこそ愛があるのではないか、死んでから愛などあるものか」というような考え方が彼等の心理であるから心中等というものは一つもないのである。純情の極、誤りとは言いながら心中まで行くというようなことではない。ましていわんや殉死等ということは彼等は気違いだ狂気だと思っている。そういう風に精神状態が違う、人情が違う、それだから日本の国体というものは彼等には分からないはずである。また清々しいところの潔癖性等について見ても同様である。例えていうと日本人は晒し木綿で褌を一つ拵えても、一旦褌と名がつけば既に言葉に魂がある。日本人はこの言霊を重んずる。故に褌と言う名がつけばもう既にこれは普通の木綿ではない。それを頭に載っけたり、あるいは食物の上に載せたりすれば汚いじゃないかという気がするのである。そういう風に実に日本人は潔白の心がある。ところが西洋人になると「古褌でも洗濯すればばい菌はいらぬじゃないか、褌でも普通の布と違わないじゃないか」という、これが彼等の考え様であって、実利を取ろうとする、そういうようにして理屈ででっち上げた憲法で作ったのが向こうの国家である。これに対して日本の国家の建設は天の摂理に基づいているのである。そうして生成化育して君民一体「国を肇むること宏遠に徳を樹つること深厚」に重なり重なって出来て来たのが我が国である。大義の線に沿って情誼が重なり重なって出来て来たのが我が日本の国体である。しかるに外国流に法律と憲法で日本の国体を解釈しようとするから分かる訳がないのである。

 憲法問題の論争

 彼の憲法問題で天皇機関説が議会で喧しい時でも私どもはそう思っておった。日本はもちろん言挙げせぬ国であるから話は非常に下手で言い現すことはうまくない。しかるに反対に何事でも揚げ足を取る事が西洋の科学の特徴である。そこで日本人は言い現したり、文句に書き連ねたりすると多少の欠点がある、だから西洋の特徴を発揮してその言葉尻を掴まえて揚げ足を取ろうとすると取り様はいくらでもあろうが、そういうような気分になることはそもそも根本が間違っているのである。もし書き方を誤ったり、言い現し方が拙かったりしても、日本精神を基調として国体として国体の根源から解釈しようとするならば、ああいう天皇機関説のようなものは起こる訳がない。文句の末節を議論して何故に揚げ足を取るような精神になるのか、そういう思想になるという事が根本の誤りだと考えるのである。その点が充分議会に於いて論議が尽くされなかったことは当時私は残念に思っていた。外国の憲法政治とは斯くの如きものであると簡単に考えてしまって、日本の憲法の解釈は間違っているというような言い方をするのが天皇機関説の 天皇に対する考え方である。そういう考え方をしようとするのは、既に精神が日本精神と違っているからである。これを日本精神即ち神代からの伝統的な建国の理想を以て憲法を解釈するならば、理由が拙くても言い様が拙くても、決して脱線することはない。ことさらに脱線させようとしてもこれを外国流に解釈しようとするからそういう錯覚に陥る。ただ揚げ足を取るような議論をするよりも、何故に日本精神を以てこれを解釈しようとしないのか、そういう所に真の禍根があるのである。

 大義と情誼に殉したる大西郷

 そこで南洲翁の場合を再び申し上げると、南洲翁は当時維新後の状況を深く観察せられて、これでは折角御一新をやったけれども、将来本当に皇謨(こうぼ)の翼賛になって行くかどうかということについて非常に憂を持たれた、これでは真の王政復古もできないと思われた。即ち天皇機関説、議会中心主義になると思われて、そこで自分が論功行賞で貰った金で私学校を作られた、そうして文武各方面に人材を養って、その維新の皇謨を翼賛して行くために努力しようというので学校をお造りになったのである。あれは決して騒動を起こさせるために造られたのではない。しかしながら私学校の生徒にしてみると、あの偉い人を—偉い人とは正しい人ということである。その正しい人を時の政府が葬るものだから弟子達としては鬱憤遣る瀬ない点があった、それで度々翁に対して蹶起を促しているけれども、翁は「そんな大それた事はするものではない」と言って、これを抑圧しておられた。それで南洲翁が狩りに行っておられた留守に火薬庫より弾薬を盗んで蹶起してしまった。その時の南洲翁の言葉も「ああしまった」こういうように嘆いておられる。その一言を以てしても、これが南洲翁の意志でなかったことは明白である。しかしながら自分が育てた子どもがやったのに自分だけ逃げるというのは日本人の情誼に悖るから情に絆されて立つは立ったものの、大義は紊(みだ)せないから初めから負ける積りであるが、やらすだけはやらして負けさして、そうして最後の解決をすればよいという気でいられたらしいのである。勝つべき戦を勝つ方法を採らないで戦は桐野一味に委(まか)せて、最後に城山で弾丸を喰って、自分は別府晋作に首を落とさして最後を遂げられた。こういう戦をしておられる。これを以てしても分かるのであるが、ああいう際に情誼を完全に履行して行くことはなかなか困難である。また更に大抵の者は戦を始めた以上は勝ちたくなるのが人情である、勝ってしまへという気持ちになる、それを大義の前にはそういう順逆を誤ることをしてはならないと、言い換えれば「こういうことは日本の臣民として決してやってはいけない。やれば俺のように負けてかような最後を遂げるぞ」という事をお示しになっている。これが日本人として最も重要な事である。南洲翁はこの最も困難な場合にこの最も重要な点を実行されたというところに南洲翁の偉い所がある。また維新の元勲だから偉いというけれども、これも元勲とは何ぞやと申すと、御一新は要するに王政復古で元勲が大義名分のために戦っているから偉いのである。そういう訳で大義をはっきり認識されて、そしてこれを実行されまた日本人独自の美点たる情誼を完全に尽くされたという点を当時の日本人は知っておったに違いない。今日の日本人は多少ぼんやりしているかもしれないが、当時の人達はその点を見て大西郷大西郷と言って尊敬しているのである。それを英雄至上主義の思想に囚われると「南洲翁はああいうことをやって、英雄、豪傑になられたから偉いのだ」こういう訳で尊敬されていると思うようになるのである。かくの如く思想が違うと物の見方が凡て違ってしまうので危険である。


 大義と情誼を共に大切にするのが日本精神です。この思想は親や誰かに十分に愛されて育った人にしか理解できない思想です。だから、西洋思想にかぶれた人、つまりサヨク思想の人やヒトラーに憧れる右よりの人には何度説明しても理解できないと思います。
 皆さんはどう思いますか?

2014年8月21日木曜日

非常時局読本(第十回)「大義名分の絶対性」

引き続き「大義名分」についての話です。

非常時局読本 海軍少将 真崎勝次著
慶文社 昭和14年3月15日発行

54ページより

10、大義名分の絶対性

 しかして大義名分は国体の本源から発足した最も尊き、最も大事なものであって、日本のみに存するもので、それは決して良い加減なものに理屈をつけて日本人だけが良い子になろうとするものではないのである。その尊厳性絶対性を良く理解しまた理解せしむる事が混乱せる思想を統一する基であり、時局解決の鍵であるということを悟らなければならぬ。しかるにある人の話に相当の地位にある人が「君は日本精神だ、大義名分だと言うけれども、共産主義には共産主義の大義名分があり、自由主義には自由主義の大義名分があり、ファッショにはファッショの大義名分がある、それだから君は一人よがりを言っても駄目だ」と言われたそうであるが、これらは全く言語道断で何とも挨拶の致し方がないくらいで、実は先にも申したようにその点が日本に非常時が来た根本である。言うまでもなく大義名分は建国以来の日本の君臣の分を基調として、天地開闢(てんちかいびゃく)宇宙の生成化育の原理を理想とし、信念としたるところに発し、古今に通じて 謬(あやま)らず、中外に施して悖らぬものである。しかるに共産主義にその君臣の関係等あり様がないのに、共産主義には共産主義の大義名分がある等と言うのは驚き入った次第である。もちろん共産主義にもその主義主張はありましょう、假令誤っていても理想もありましょうが、大義名分は絶対にない。自由主義も同様である、大義名分は日本だけにあるのである。我が国に於いてはこれは善悪の絶対基準であるから、余計な理屈に囚われず万古に栄え行くのである。単に理屈のみで言うならば所謂泥棒にも五分の理屈と言うこともあって訳は分からなくなってしまう。

私の解釈ではこの「大義名分」の意味は、親子の愛情を基礎に(天皇と臣民の関係も親子の関係に近い)国の中で人がそれぞれの役割を行い(人間の体の中で細胞それぞれが自分の役割を果たしているように)、国民皆が安全かつそれなりの幸せな人生が送り(緊急事態は除き)、良い国を次の世代に引き継ぐという「目的意識」です。
皆さんはどう考えますか?