日本では災害時に一般人が略奪をすることはない。
海外では驚かれるが、日本では当たり前のこと。
日本人からしたら海外がおかしい。
これは日本人の心の奥底に常に「仁」の心が潜んでいるからだと思う。
江戸時代家康の意向で儒学が広められた。
儒学の根本思想は「仁」であり、今で言うと恋愛を除いた「愛」である。
親子愛を基に、その愛を兄弟、夫婦、職場、友情に広げることとされている。
そして、その「仁」の徳を修め、家庭を「仁」の心で満たして治め、そして、為政者は「仁」の心で国を治める。
これが儒学の理想の世界である。
明治維新以後自由主義思想、サヨク思想に押されて儒学は廃れ、今や学校では論語の一部を教えられるぐらいである。
しかし、「仁」の思想が日本人の中には残っている。
一方の儒学の出身地支那では、「仁」の思想が残っているとは思えない。
弱肉強食、優しい人から食い物にされそう。
「仁」の心では生きていけない。
なぜ、日本では「仁」の心が残り、支那では廃れているのか、それが疑問だった。
それが、実家の厨子の中のご本尊の鏡を見た時にわかった。
三種の神器の一つも鏡である。
天照大神が「この鏡にうつるあなたを私だと思いなさい」と瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に渡した鏡である。
人は鏡がなければ自分の顔を知ることができない。
日本人にとって、「仁」の心は儒学が入る前からあり、しかし当たり前のように持っているので、自覚出来ない。
「災害時になぜ略奪しないのか」と訊かれても、わからないのと同じである。
儒学が入ってきて「儒学」という鏡があって初めて、日本人は自分の心の中の「仁」があることを気付けたのである。
だから、私もそうだが論語を読んで全てを受け入れている訳ではない。
「この部分は確かにそうだ。納得できる。」というところだけ、取り入れている。
儒学は所詮鏡なので「仁」の心を学ぶ良い教材ではあるが、鵜呑みにする教典ではないのである。
では、なぜ支那には儒学が生まれたのか。
孔子、孟子の頃は諸子百家の時代であり、支那では様々な思想が存在していたうちの儒学は一つに過ぎない。
孔子や孟子は自分以外の思想が近くに存在していたので、自分の思想を明らかにすることができたのである。
周りの人と自分の思想が同じだと自分の思想が理解しにくいが、周りの人と自分の思想が違えば、自分の思想がどのようなものか気付きやすくなるのである。
だから、孔子や孟子は日本に生まれず、支那に生まれたのである。
しかし、今日本では虐待や家庭内暴力、ストーカー、学級崩壊などが起こり、「仁」の心が少し廃れかかっていることがわかる。
だからこそ、今私は日本人の「仁」の心に気付けたのだと思う。
私の人生のテーマは日本人に「仁」の心を取り戻させ、その心を世界に普及させることである。
仁は天皇の御名前に付けられています。その心は忘れかけた大切なものを国民が思い出すように、との思し召しか、とも思っておりました。
返信削除私はとかく「義に過ぎれば固くなる」傾向があり、時として人に柔らかくなるよう意識すると「仁に過ぎれば脆くなる」と振れてしまい、師道の難しさを日々痛感して居るところです。(独眼竜引用)
現在小4の娘に論語を素読させていますが、日課にさせようと義務にすると反発されます。兄の方は3歳から素読を率先してやり、230首?ほどあっという間に暗証していました。その上の兄は、大学を半分まで暗証して、その上は松陰先生の志規七則を声高らかに唱和してから「行ってきます!」と学校に向かったものです。
私にパワーがなくなったから、とは思いますが、ただ素読するだけでは続かない、生活に価値を見いださないと、こちらも伝える意義を見失う。伝え方も楽しくしないと。
学校の道徳はいじめ死防止の為の保身的な授業で、つまらない。では、論語や修身をどのように現代っ子に受け入れられる形で寺子屋馬関塾を開校しようか、我が子に試験して、かれこれ10年になります。トホホ。
〜下関市在住5児の父〜