前回の続きです。文藝春秋 第27巻第12号 昭和24年12月号 45ページ
満洲国の性格がソ連的であることは、協和会などを見てもよく判る。
日本の陸軍が全体主義であると考えておる人が多かったが、その全体主義は必ずしもナチ的ファッショ的なものではなかった。それは彼等がナチ的であるかの如く装っていただけのことで、実は純粋のナチ的ではない、ナチ的より更に進んだものなのだ。多くの人はナチスとソヴェットを全然異なるもののように考えておるけれども、もしナチスのものをソヴェットのものといい、ソヴェットのものをナチスといって日本人に教えたとしても、多くの人はやはりそうかと思う。その一般の人の頭の盲点が巧みに利用されていたのだ。そういう巧妙でかつ高度な精神的指導は、軍のどういう所でやったかというと、それはもちろん統制派の幹部である。士官学校、陸大を優秀な成績で出て、欧州あたりも視て来ているから、相当のインテリジェンスがあるのは当然だ。
日華事変というものが起こって来た。不拡大不拡大と言いながら、拡大しつつある。不拡大を唱える人は、陸軍大臣とか参謀総長とか表面陸軍をリードするが実権を持たない人々で、実権を持っている人達は黙々として拡大一方に進んでいる。もし本当に不拡大で行くならば、あるいはあの事変を勝利をもって片付けようと思ったならば、容易に片付け得たはずである。それは飛行機を製造する工場もなし、自動車も造れず、大砲や鉄砲もろくな物を持たない当時の中国兵と、最も近代的な装備を持つ日本の軍隊が本気で戦ったら、勝つも勝たぬもない、日本が勝たないのは嘘である。勝とうとしなかったのだ。何となれば戦争を止めたくないからだ。しかも中国と戦争をしていることが一番ラクなんだ。何時も自分がイニシアティブを持っていて、止めようと思えばいつだって止められる、敗けないんだから何時までだってやっていられる、これほど都合のよい戦争はない。 しかもこれで非常時、自分は傷付く心配のない非常時の大規模な展開、まさに思うつぼではないか。それでいて、いや支那は広いんだとか、やれ地形がどうだとか弁解しているが、そんなことを言うなら、秦の始皇帝や漢の高祖時代の戦争と同じではないか。どういう装備を持っていたか、そんなことは、問題にならぬではないか。全力を出す出さぬの沙汰ではない、まるで近代的の装備など、対中国戦争では用いてはいない。そっくり満洲に取ってある。それをたまたま使ったことがある、板垣征四郎が臺兒荘で敗けた時のことだ。敗けてはならぬから取つときの機械化部隊を持って行ったら直ぐ片が付いた。それをストックしているのである。ストックしている武器なり装備なりが不充分ならば、誰に遠慮することもない、直ちに支那の地形なり状況に適合するものを造り得るはずだ、それを造る努力もしていない、飛行機だって十分に使っていないのである。
これに対して何等の批評をし得なかったことは日本人の重大な責任だ。軍の為すがままに委せて、彼等の宣伝をそのまま聴従していた、こんな馬鹿なことはない、もし実際中国のあの旧式な軍隊を対手にして引きずり回されてノンベンダラリとしていたというならば、どうして最も近代的な英米を向こうに回して戦さができるか、最も高度な近代工業を持っている、従って最も進歩した武器と装備を携え得る英米を相手にして戦うというのだから、それは相当の自信がなければならぬ、大した自信はないにしてもある程度の自信はあったであろう。つまり日華事変は対英米戦争に日本を巻き込む一つの基盤をなしたものと見得るのである。もしこの日華事変がなかったならば、あるいは対英米戦争を起こす口実が見出し得なかったかもしれない。
続く
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