2014年6月3日火曜日

非常時局読本(第六回)「思想と人格との混同」

思想病の問題は現在も「保守主義者」と「サヨク」の間でも厳然として残っています。
それぞれの主張を見ると本当に善と悪が逆さまになっています。
同じ世界に住みながら、全く違う世界に生きています。
本当に恐ろしいのが「思想病」です。
続きを御読み下さい。

非常時局読本 海軍少将 真崎勝次著
慶文社 昭和14年3月15日発行

25ページより

六、思想と人格との混同

 日本人はとかく思想と人格とを混同して考えている。政治家やあるいは外交官等までがイタリアやドイツに行って、日本人たることを忘れて無条件にヒットラーやムッソリーニの人格、識見、技倆に惚れ込んでしまって、その識見や技倆の生みの親たる思想にまで惚れ込んでしまって来る者がある。単に人格のみを言えば私はロシアにいる時分に特に関心を持って調べたのであるが、彼の共産主義の元祖であるレーニンの如きは、今日の日本の何れの政治家よりも人格としては綺麗な人だと信じている。しかしながら彼は共産主義を以てロシア人を救い人類を救い得るという思想を持っていた所に、日本の国体、つまり日本精神とは根本的に相容れざるところがあるから排撃するのである。しかも日本精神というものは何も日本人だけに都合の良い事を言っているものではない、つまり宇宙の創造、造化の真理、生成化育の原理をそのままに原理とし理想とした所の我が国体そのものから発足した精神であって、共産主義以下非道理な思想とは徹底的に相容れないのである。かるが故にレーニンを排斥するのであって彼が人格劣等なるが故に排斥する訳ではない。彼はあれだけの仕事をやり遂げただけに、人格に於いてもいわゆる識見技倆に於いても恐らくヒットラー、ムッソリーニを抜くくらいの人物であったのである。またヒットラーやムッソリーニにしても非常な人格を持ちまた識見、力量がなければあれだけの大成功は出来ないことはいうまでもない、ぼんくらではとてもあれだけのことは出来ない。それは分かり切った話であるが、外国の国柄の異なる即ち国体なき国の思想をそのまま鵜呑みにする訳にはいかない。レーニンの場合には共産主義は真似てはいけないということは日本人は全部知っているから誰も彼に傾倒はしないが、しかしいろいろの都合でヒットラーやムッソリーニの場合には人格に惚れてこの思想までも鵜呑みにしてこれに全部真似ようとする傾きがある。その点が思想の本質は別として実際上では今日の日本人には共産主義以上にファシズムの方が危険性があるのである。人格が立派で識見、力量が大で思想のない者はこれが一番危険である、つまり自動車の機械が立派で舵がない訳であるから何時危険に瀕するか分からない。かくの如く思想で分からないと自分では一生懸命国家のためと思ってやっていることが結局は国を混乱に導く事になるのである、即ち誠心誠意国を危うくするのである。

続く

皆さんいかがですか。
思想が如何に大切かわかって頂けたでしょうか。

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