非常時局読本 海軍少将 真崎勝次著
慶文社 昭和14年3月15日発行
112ページより
近時議会制度を否認する考えがあるようであるが、これもまた国体を真に理解せざる結果である。永年にわたって政党が腐敗しておったために、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いということになって、感情的に起こってきた議論である。政党の悪いのはそれはそれとして別に考えこれを正すべきである。日本は神代の時から議会はあった、国体の根本精神は議会制度を認めている。ご承知の様に天孫降臨に際して天安河原に於いて、八百萬神が神集いに集い給い、神諮りに諮り給うたということになっている。これは今日でいうと議会を開いてどうしよう、こうしようと会議をされて、その結果天孫が天降りになったのである。即ち我が国は神代の昔から肇国の初めから議会というものが設けられいる。ただ神集いというのは神様が集って、即ち私心のない者が集って 天照皇大神の御心をその儘 天皇の大御心を心とせられている方々ばかりが会議されたのである。今日は私欲を持った代議士が集まるからいかぬのであって、決して議会制度そのものが悪いのではない。つまり人間に私心があって日本精神がないからいかぬ。だから昔の如く神集いに集い、神諮りに諮らんとする精神がないのが悪いので、議会そのものが日本の国体に合わないのではない。それで明治天皇は御自ら欽定憲法を作られ議会が出来上がった訳であるから、何処までも御意に添って皇運を翼賛するための議論ならば、論議は決して相克摩擦ではなくて、切磋琢磨になるのである。それを私心を持ってやったり感情を持ってやったりするから相克摩擦になる。そこをはっきり弁えなければならん。これを混同してはならない。もちろん選挙法等は何とか改正すべき点もあるであろうが、しかし兎にも角にも集まる人間が私心のない人間でなければならぬ。そのことがはっきりせぬから議会が悪いことになるのである。だから選挙する人もやはり私心を去り、感情を去り、本当に日本精神を以て大義名分のはっきり分かった人を選挙してそれを議員に送らなければならぬ。そういう議員を送って議会を天安河原に於ける神々の会議のような議会にすることを理想として行わなければならぬのである。
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