2016年7月10日日曜日

帝国憲法制定の精神 一

今日は参議院選挙が行われます。
改憲勢力が3分の2になるかどうかと新聞紙上には書かれていますが、安倍首相は帝国憲法を作った井上毅、金子堅太郎、伊藤博文、伊東巳代治らと同等の憲法観を持っているのでしょうか。
帝国憲法の精神を知るために、金子堅太郎の講演の内容が書いていあるこの本を連載します。
ぜひ、帝国憲法について、一緒に勉強しましょう。

金子堅太郎著
「帝国憲法制定の精神、欧米各国学者政治家の評論」
文部省、昭和10年8月発行

本書は昭和10年7月中旬本省憲法講習会に於ける金子堅太郎伯爵の「帝国憲法制定の精神、欧米各国学者政治家の評論」と題する講演の速記を伯爵の訂正補筆を経て上梓したる者なり。
昭和10年8月
文部省


私は松田文部大臣のご招待に依って、本席で「帝国憲法制定の精神、欧米各国学者政治家の評論」という問題に就き、諸君にお話しする約束を致しました。然るに中途にして
、昨年の大患以来の主治医の人々が、この炎暑の際に講演するということは見合わせてくれいうことで、文部大臣にもお断りを致したけれども、一度諸君にご通知になっているから、1日でもよろしいから来てくれということでありました。依って主治医の承諾を得て一日だけ罷りでることとなりました。然るに最初は二日ということにお約束を致しましたけれども一日になりましたにより、内容を省略しなければならぬことになりました。この事はお断りを申して置きます。なお日取りのことも昨日になってやむを得ざる事故があって、今日にお願い致しました。これも誠に皆さんに対してお気の毒に存じます。それから実は起立して講演すべきでありますけれども、主治医の注意があったに依って、文部大臣のご厚意に依り着席のままで宜しいということでありますから、着席して講演を致します。これもまたご了承を願います。
 さて今回松田文部大臣においては憲法講習会をお催しになりました、諸君をお招きになり、国体を明徴にする御会同であるから私にも罷り出るようにいうご依頼があった。依って国体を明徴にするにはまづ日本憲法の由来をお話することが最も必要と存じます。これ日本の憲法は国体に基づいて起草されているからである。これより私は我が国の憲法と国体の関係についてお話を致したいと思います。
 帝国憲法は叡聖文武にあらせられる 明治天皇の偉大なる叡慮を奉戴して、伊藤公が日本の歴史と国体を調べ、また海外各国の憲法を調査して、起草せられたるものであることは、諸君のご承知の通りである。伊藤公は一度大命を拝するや、その起草の方針を井上毅、伊東巳代治及び私の三人に示され、我々が起草して後四人相集まってこれを精査熟議した結果、伊藤公がその草案を闕下に捧呈せられ、次いで枢密院が創設せられ、その会議を経て発布せられたるものである。故に実は国体と憲法の関係についてこの席に出て講演をせられるべき適当は人は、伊藤公である。然るに伊藤公はハルピンに於いて兇徒の毒弾に倒れ、その次にはこの任を尽くすべき人は井上毅であるが、これを先年亡くなり、伊藤、井上の両氏を除いたならば伊東巳代治でありますが、この人も昨年逝去して、今はこの世にはなく、残る者はただ私一人であります。それで伊藤公を初め同僚の二人が、今もなおこの世にあったならば、今日この席に出て私より以上に明確なる説明をすることであろうと思いますけれでも、それらの人々は最早この世にあらずして私がわずかに生き残っておるのみである。しかもその私も昨年の大患でほとんど医師も絶望しておったくらいでありましたが、幸いにも奇跡にも回復いたしまして、残存しておるから、この席に於いて、憲法と国体の関係についてお話をすることは、残存者の義務と考えまして私が御請を致した訳であります。ご承知の通り憲法制定の由来については長い歴史があって、中々一場の講演では終わらなけれどもその要領のみを極めて簡単にお話し致しましょう。
 そもそも我が日本の憲法は、日本に二千五百年有余年継続している国体というものに基いてできたのであって、欧米諸国の憲法の如く帝王の圧迫に堪えずして貴族と人民が鉾(ほこ)を逆さまにして帝王に迫った結果できた憲法とは違う。また欧米諸国の如く人民が自由民権を主張するために帝王に迫って制定せしめたのでもない。全く 明治天皇の遠大なる思し召しに依って欽定せられたる憲法であるから外国の憲法と日本の憲法とを併せて同一の理論をもって解釈することはそもそも誤っていると私は確信する。しかし私が今日この演壇に登ってこの講演をするのは、徒らに政治の渦中に投じて政治問題につきかれこれ論議する意思を持っているからではない。また日本の憲法学者の誤謬を非難攻撃するような目的でもない。ただ 明治天皇の叡慮を奉戴して、伊藤公が我々に憲法の起草を命じられたのであったから、その憲法制定の精神をお話するのみである。私は何の私心もなく、ただこれから申し述べることは憲法制定の由来であって、全く事実そのままのお話を致すのである。憲法発布以来世には日本の歴史も知らずまた国体も弁えず、徒らに欧米の憲法の理論にのみ依って日本の憲法を解釈しようとするもののあるのは、一人日本憲法の精神を理解し能わざるのみならず、これを誤るものと私は信ずるものである。

次回に続きます。

2016年4月24日日曜日

儒学を理解できるのは選ばれた人のみか?

儒学の根本は「仁」であり、この根本思想は多くの日本人に理解できるが、儒学そのものを理解するには必要なものがある。

一つは「充分に愛された経験」。
次に「高い知能」。
最後が「忍耐力」である。

「充分に愛された経験」がなければ、まず「仁」の心が理解できない。
福沢諭吉は儒学者の子に生まれながら、「学問のすすめ」や「文明論之概略」を読む限り、「仁」の心を理解していたとは考えられない。
福沢諭吉の説く「徳」とは、「相手に苦痛を与えない」というかなり消極的なものである。
諭吉の家族についての記述を読むと、「家庭内では争いはなく、家族内では物が共有されている」旨が記載され、「全く苦痛のない家庭像」が描かれ、全く現実感がない。
諭吉が愛された経験がないかは証明できないが、必ず苦痛を伴う愛は理解できていないと思われる。

ここで、まず「愛(仁)」について整理したい。
「あなたを愛しています」と相手に言うのは大した愛ではないと思っている。
言うだけでなら、思うだけなら、簡単である。
愛とは大切な相手に対して、どれだけ尽くせるかである。
つまり自己犠牲である。
親の愛で喩えると、遠足の日の朝に「今日はコンビニで一番良いお弁当を買って来たわよ」と渡すのと、朝4時起きして作ったお弁当を黙って渡されるのはどっちの方が子どもに愛が伝わるだろうか。
また、愛には相手の気持ちを言葉だけでなく態度や行動から理解することが必要だし、完璧な人間はいないので相手の多少の嫌な部分も我慢しなければならない。
愛には必ず苦痛や面倒臭さを乗り越えることが必要だし、愛の強さは相手の対してどれぐらい苦痛に耐えられるかで決まる。
相手にどれだけ価値を感じられるかによって、その価値に見合った苦痛に耐えられる、それが愛だと私は考える。

この「愛」を知るには、自分が誰かに愛されるのが一番である。
自分のために、この人は自分の気持ちを察し、嫌な部分も受け入れ、苦労を厭わないで尽くしてくれたという経験があることで、「愛」の価値を知ることができる。
「愛」とは「苦痛を避け、快楽を求める」という本能に逆らわなければならない。
その本能に逆らってまで、苦痛を耐える必要は、「愛されてうれしかった」という経験が不可欠である。
だから、儒学の「仁」を学ぶには、「誰かに(多くは親)充分に愛された」という経験がないとどんなに知能が高くても理解できないのである。

儒学は、過去の支那の歴史的事実から哲学的な文脈を理解し、そこから「仁(愛)」の思想が政治的にも重要であることを説いている。
しかし、儒学では短い文章から「解釈する」ことが求められる。
儒学を学ぶには歴史を学ばなければならないし、想像力も必要であるし、漢文も読めなければならない。
儒学には、処世術も書いてあるが、そんな簡単なマニュアルではなく、結論だけ書いてあるが、なぜその結論が正しいのかに付いては、ある程度自分で考えなければならない。
世の中を理解するには、人情の機微がわからなければならず、複雑な思考が必要。
儒学を学ぶには、高い知能を要する。
だから、一般庶民向けの学問ではない。
だから、聖徳太子は一般庶民向けの思想として仏教を取り入れたのであろうか。

儒学の最終目標は、「修身、斉家、治国、平天下」という、政治を良くする、つまり国民皆が幸せに生活することである。
だから、政治を執り行う者には強い「仁(愛)」が必要になる。
国民の心を理解し、国民のために多くの苦痛に耐え、自分に対して嫌な思いをさせる国民のことも犯罪でなければ慈悲の心で受け入れることが必要である。
徳川家康は日本史上最大の政治家だと思う。
家康ほど苦労した政治家がいるだろうか。
早く母と別れ、父が殺され、何時殺されるかわからない人質となり、自分を慕う家臣の多くが飢え死寸前となり、初めの妻を殺さなければならない状況となり、長男を切腹させざるをえない。
それらを乗り越え、そのような悲劇を繰り返さないために天下の安泰を目指し、生き続けた。
家康と同じ境遇を耐え、それを乗り越えて生きられる人間がこの世にどのぐらいいるのだろうか。
家康に比べれば、信長、秀吉の苦労はまだ少ないのではないか。
家康の遺訓「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。」というのも、真偽の議論があるが、私は家康以外にこれを言える人がいるとは思えない。
儒学を真に理解するには、この多くの苦痛に耐え、それを乗り越える驚異的な「忍耐力」が必要なのだと思う。

だから、儒学を修めることができるのは、充分に愛され、高い知能を持ち、驚異的な忍耐力を持つというその時代にかなり少数の人である。
このような人たちが、「仁」の心を持って政治を執り行えるような仕組みが日本に必要だと思う。
今の日本はそのようになっているだろうか。
今の教育、行政、政治の制度がそのような仕組みになっているだろうか。
選挙制民主主義は、自己顕示力が強い人、権力志向が強い人、仁の心のある人が玉石混合状態で議員が選ばれる。
仁の心のある政治家を選べる仕組みが作れないものだろうか。

今考え中である。



2016年4月23日土曜日

日本になぜ孔子が生まれなかったのか?

日本では災害時に一般人が略奪をすることはない。
海外では驚かれるが、日本では当たり前のこと。
日本人からしたら海外がおかしい。

これは日本人の心の奥底に常に「仁」の心が潜んでいるからだと思う。

江戸時代家康の意向で儒学が広められた。
儒学の根本思想は「仁」であり、今で言うと恋愛を除いた「愛」である。
親子愛を基に、その愛を兄弟、夫婦、職場、友情に広げることとされている。
そして、その「仁」の徳を修め、家庭を「仁」の心で満たして治め、そして、為政者は「仁」の心で国を治める。
これが儒学の理想の世界である。

明治維新以後自由主義思想、サヨク思想に押されて儒学は廃れ、今や学校では論語の一部を教えられるぐらいである。
しかし、「仁」の思想が日本人の中には残っている。
一方の儒学の出身地支那では、「仁」の思想が残っているとは思えない。
弱肉強食、優しい人から食い物にされそう。
「仁」の心では生きていけない。

なぜ、日本では「仁」の心が残り、支那では廃れているのか、それが疑問だった。

それが、実家の厨子の中のご本尊の鏡を見た時にわかった。

三種の神器の一つも鏡である。

天照大神が「この鏡にうつるあなたを私だと思いなさい」と瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に渡した鏡である。

人は鏡がなければ自分の顔を知ることができない。
日本人にとって、「仁」の心は儒学が入る前からあり、しかし当たり前のように持っているので、自覚出来ない。
「災害時になぜ略奪しないのか」と訊かれても、わからないのと同じである。
儒学が入ってきて「儒学」という鏡があって初めて、日本人は自分の心の中の「仁」があることを気付けたのである。
だから、私もそうだが論語を読んで全てを受け入れている訳ではない。
「この部分は確かにそうだ。納得できる。」というところだけ、取り入れている。
儒学は所詮鏡なので「仁」の心を学ぶ良い教材ではあるが、鵜呑みにする教典ではないのである。

では、なぜ支那には儒学が生まれたのか。
孔子、孟子の頃は諸子百家の時代であり、支那では様々な思想が存在していたうちの儒学は一つに過ぎない。
孔子や孟子は自分以外の思想が近くに存在していたので、自分の思想を明らかにすることができたのである。
周りの人と自分の思想が同じだと自分の思想が理解しにくいが、周りの人と自分の思想が違えば、自分の思想がどのようなものか気付きやすくなるのである。

だから、孔子や孟子は日本に生まれず、支那に生まれたのである。

しかし、今日本では虐待や家庭内暴力、ストーカー、学級崩壊などが起こり、「仁」の心が少し廃れかかっていることがわかる。
だからこそ、今私は日本人の「仁」の心に気付けたのだと思う。

私の人生のテーマは日本人に「仁」の心を取り戻させ、その心を世界に普及させることである。


2016年3月11日金曜日

思想が違うと世界が全く違って見える。

いつも日本人に知っておいて欲しいけど図書館に置いてない文献を紹介していますが、私の意見も発信していきます。
もし読んで参考になりましたら、ツィッターなどで広めて下さい。

同じ映画、同じ本、同じ歴史を皆が違って感じるのは当たり前です。
人それぞれによって感じ方や考え方が違うので、誰も異論はないと思います。
しかし、善と悪が正反対になってしまったり、大幅に解釈が違うとは皆さん思っていないでしょう。
同じ日本人でも、同じものに対して正反対に感じてしまうのは、単に感じ方、考え方の個人差ではなく、世の中に対する見方つまり思想が違うからなのです。

それがどうしてそうなっているのかについて解説します。
簡単なものから言うと、「永遠のゼロ」という映画を見てどう感じるかということです。
「愛の強さとは大切な人のためにどれだけ苦痛に耐えられるか」という考えの人は、この映画を見ると涙が止まりません。
自分は親や恋人、恩師などの誰かに愛された経験があり、また自分も誰かを愛している人です。
しかし、「苦痛や危険は悪である」「自己犠牲などというのは狂気か、騙されたかのどっちかである」「愛とはセックスという快楽以外に意味はない」という考えの人にとっては、「ああいう物語はありえない、偽善の物語で、吐き気を催す」ような映画だろうと思います。
同じ映画でも正反対の反応になるのです。
この正反対の思想の人たちと議論して話がかみ合うでしょうか。
同じ世界にいながら、白と黒が逆になって見えているのです。

次に儒学についてです。
儒学のことは現代の人はほとんど知りません。
この私も最近、論語、孟子、中庸、大学などの四書や孝経、吉田松陰の講孟箚記(こうもうさっき)を読んで学んだばかりです(現代語訳ですが)。
儒学の本を読んだら、儒学で言う「徳(仁の心)」が身につくわけではないようです。
読む人に元々「仁」の心があるかないかによって、解釈が大きく異なってしまいます。
徳川家康や徳川光圀、幕末の思想家の藤田東湖、吉田松陰、横井小楠などは本気で「仁」の思想を信じていました。
「仁」とは、親や子どもを愛する気持ちを基に、先祖を愛し、配偶者を愛し、上司や部下を愛し、友人を愛し、愛をもって政治を行うという思想です。
それが、福沢諭吉のような自由主義者やサヨク思想の学者によると、「上下関係のある封建社会を正当化するための学問」という扱いになってしまいます。
ちなみに福沢諭吉にいう「徳」とは、「他人に迷惑をかけないこと」に過ぎません。
支那や朝鮮が元々儒教国家と言われながら、全く「仁」の思想が国民性の中にあるように見えないのは、自由主義者やサヨク思想の学者と同じように上下関係の道徳として認識され、悪用されて支配の道具になっていました。
このように、学問でさえ思想が違うと全く意味が変わって来てしまうのです。

最後に歴史についてです。
歴史とは単なる事実の連続ではありません。
歴史とは、過去の出来事を現代人の我々がどのような物語で解釈するかが歴史なのです。
だから、解釈に大きく影響する思想抜きに歴史のことは語れません。。
「苦痛は悪である」という考えに縛られている自由主義者やサヨク思想の人は、社会を「支配する者(苦痛を与える者)と支配されるもの(苦痛を与えられる者)」という構造でしか、世の中が見えていません。
そういう人たちにとって、歴史は全て「支配者―被支配者」として解釈されます。
そのため、天皇や将軍、武士は支配者、農民、被差別部落の人たちが被支配者になります。
殿様と家臣の間の忠義は全てではないにしても、「仁」を基にしたものだったはずです。
そうでなければ、殿様の死に続いて殉死する家臣のことを理解することはできません。
殉死とは愛する殿様への命さえ捧げる極度の愛です。
家康が殉死を禁止しなければならないぐらいでした。
自由主義者やサヨク思想の人からすると、殉死などは全く理解不可能なことです。
頭がおかしくなっているとしか考えられないでしょう。

それから、「仁」の思想の人からすると、天皇のために日本のため忠義を尽くして命を顧みず、志を遂げようとした楠正成は、忠義の士としての英雄ですが、自由主義者からすると「時勢が読めない武将」に過ぎず、逆にサヨク思想の学者からすると「豪族から生まれた革命家」となります。
同じ人なのにその人の生き様が全く違う解釈になってしまうのです。

私は、自由主義思想やサヨク思想より、日本古来の「仁」の思想の方が日本人は幸せに生きられると思っています。
心の中の思想の自由は保障されるべきですが、自分や他の人に迷惑をかける思想を論破していく自由もあります。
私は、このブログの中を通して、極端な(キリスト教が背後にない)自由主義思想、サヨク思想を論破し、日本人が本来の「仁」の心をを取り戻し、日本人が与えられた能力や環境の中で、それぞれが困難を乗り越えながらその役割を担い、それなりの幸せを感じながら、人生を全うできるように、貢献していきたいと考えています。

2016年1月31日日曜日

家康百箇条(一節および二節)家康百箇条の由来、仁教に関する条々

明治41年7月に発行された有賀長雄著の『増訂 日本古代法釈義』からの転載ですが、読みやすいように原文の現代語表記及び現代語訳を載せています。

家康の百箇条は本物偽物が混ざっているのか、いくつかある様ですが、有賀長雄先生を信じて、これが本物と思って載せます。
私は徳川家康は日本の歴史上最大の政治家だと思っています。
その家康が日本をどのように統治しようとしていたのか、本人自身の記録が少ないため、あまり国民に理解されていません。
この百箇条はほとんど本にも載っていません。
これを公開し、日本人自身が日本の歴史を見直す機会になれば幸いです。
原文を読むのが煩わしい方は、後に書いてある現代語訳を参照下さい。

同書726ページ
第42章

家康百箇条

一節 家康百箇条の由来
家康百箇条は、徳川一家の家典とも、政策ともいうべきものなり。家康百箇条は、これを徳川百箇条と混同すべからず。徳川百箇条は、徳川の刑律を編纂したるものにして、松平定信の手に成れり。家康百箇条は、家康が、随時下筆して、子孫に垂訓せるところなり。故に、かつて、これを公布せず、宝庫に秘蔵して、代々将軍の外は、時々大老に内示せしのみなりという。その末条に書して曰く、「我が建つるところの条々、治国平天下の大綱、即ち、将軍の職分なり。つぶさに、我が子孫に遺訓するに至りては、山筆海墨、これを尽くすことあたわず。ただ、我が志を写して、一巻となし付属す。我が百年の後といえども、この条目に照らし、志を観よ。子孫、これに違背する者、これあれば、将軍の器にも当たらず、我が子孫にもあらず」と。以下数節に於いては、本文の条項を、事目に依りて分類したり。

二節 仁教に関する条々
徳川氏の治世は、仁教を以て、本拠としたること、左の条々を以て、これを見るべし。

一、武威に驕り、帝位をないがしろにし、天地君臣の礼を乱れるべからず。およそ、国をもつ職分は、民を安祥ならしむるにあり。先祖を輝かし、子孫を栄えしむるにあらず。湯武の聖徳も、この旨を主とすべしと知るべし。
一、文武、皆、仁より出づ。千経万機といえども、その理同じ。治国平天下の法、ここにありと知るべし。
一、天下は天下の天下にあらず、また一人の天下にあらず。ただ、仁に帰すること、深く研究すべきこと。
一、仁は、己にあり。四経九経、自ら備わる。この旨、一日も離れるばからざること。
一、本朝は、神武顕明の地なれども、文学、異域に劣れり。よろしく、学校を設け、これに依り、国家の盛を鳴らしむべきこと。
一、天理の公、己に知るいえども、その行正からざれば、その罪、知らざるよりも重く、家を亡ぼし、国を乱し、災い、必ず興らん。過を知りて改めざるを、過としるべきこと。
一、三代の、天下を失うもの、夏は、桀に至りて、禹王の制教を忘れ、殷は、紂に至りて湯王の聖典を乱れり、周は、幽厲(ゆうれい)に至りて、文武の政事を怠る。秦漢以来、歴代、皆然らざるはなし、我が子孫も、また、我が規条に相違すれば、即ち、また、これに殊なることなけん。この旨、皆然り。将軍、代々の亀鑑なるべきこと。
一、君は、民の愛を知らず、民は、君の患を知らざれば、悪政なしというとも、暴行、自ら出づ。国君、仁を好めば、天下、敵なしとは、この理たるべきこと。
一、万国の辜(こ)、威、帝位の不徳に帰す。天下の不平、皆、将軍の不肖に帰す。徳は、共に、一心にあり。貴賤隔てざる地なり。上たる者、暫くも遺失すべからざる事。
一、仁、天下に及べば、即ち、内外尊卑を隔つることなし。日月の照らすところ、浄穢(じょうえ)を隔てざるはなし。聖人、これによりて、法を立て、親疎の次第、階級、、三鋼、八條、確固として抜くべからざる規たり。一人、天下に将たれば、即ち、諸士、皆臣たり。四海を臣とするにあらず。他家、当家、外様、旗本の差あり。他家は、皆、時の権柄(けんぺい)によるものなり。譜代の士は、由緒、当家にあり。その先祖、一々忠勤の士なり。記録に載するところ、明らかに見るべし。その親愛、他家に越え、他家憤らざるもの、その本に基づくによるなり。即ち、天理なり。将の法なり。士の道なり。仁の術なり。志、これを怠る者は、我が子孫にあらざること。

これを意味がわかりやすくなるように、現代語訳にしてみます。
家康百箇条(現代語訳)

一、武威に驕り、天皇をないがしろにして、天地、君臣の礼を乱してはいけない。国政を司る者の職分は、国民を安心して暮らさせることにある。自分の先祖を輝かし、子孫を栄えさせる事ではない。支那の湯王や武王の聖なる徳もこのことを主としていたことを知らなければならない。
一、文武共にこれは「仁」から派生している。それはどんな時であってもその「理」の正しさは同じである。国を治め天下を平らげるための方法は、まさにここにあると知らなければならない。
一、天下とはは天下の民のための天下でもない。また天下とは一人の支配者のためのものでもない。天下を治めるということは全て「仁」の心から始まる。このことは深く研究しなければならない。
一、「仁」の心とは自分の中にある。四書九経のような儒学の書に書いてある内容は、自分の中に備わっている。このことを一日も考えずにいてはいけない。
一、我が日本は神武天皇が興した地であるが、学問に関しては外国に劣っている。良いように学校を設立し、国家の盛んさを世界に知らしめなければならない。
一、天の「理」(つまり「仁」が根本であるということ)のことは自分の中にあると言っても、その行いが正しくなければ、その罪は、天の理を知らない事よりも重く、我が徳川家を亡ぼし、日本国を乱し、災いが必ず起こるであろう。自分の過ちを知って改めないのことが過ちであることを知らなければならない。
一、古代支那の夏殷周の三王朝の時代、夏は桀王の代になり、禹王の律を守る制教を忘れ、殷は、紂王の代になって湯王の聖典の教えを守らなくなり、周は、幽厲(ゆうれい)王の代になり、文王や武王のような政事を怠ってしまった。秦漢以来、歴代、いつも同様である。我が子孫もまた、我が家康の規条と違う事を行えば、即ちまたこれと同様なことになるであろう。このようなことは皆同じである。将軍となったならば、代々の模範となるべきである。
一、君主がわざわざ国民の愛を知ることもなく、国民は君主の憂いを知ることがない状態であれば、悪政はないと言われているが、乱暴な行いは自然と起こってくる。国の君主が「仁」を好めば、天下に敵なしというのは、このような「理」のことである。
一、どのような国の罪、暴力もその国の君主の不徳にその原因がある。天下の国民の不平は皆、将軍の不肖によるものである。徳というものは、君主、将軍、国民共に心を一つにできるかによる。日本では尊い人も卑しい人も分け隔てしない国である。上にある者は、このことをずっと忘れないようにすべきである。
一、「仁」が天下に及べば、即ち国の内外も(上下としての)貴い人も卑しい人もを隔てることがなくなるであろう。しかし、日月の照らすところ、清い、穢れているの違いはある。堯舜や孔子のような聖人はそのために、法を立て、親疎の次第、階級、、三鋼(?)や八條(?)を確固として守るべき規範とした。一人の人が天下の将となれば、そのことにより諸々の武士は皆臣となる。しかし、天下の人全員を臣とするのではない。他家と当家、外様、旗本の差はどうしてもある。当家となるか他家となるかは、皆その時の権力を誰が握るかによるものである。譜代の士は、由緒が当家と関係している。その先祖は一人一人が忠勤の士であった。記録に載っているので、明らかに見ることができる。その親愛は他家を越えているので、他家としても憤ることができない。つまり、その(その親愛の関係という)本に基づくによるものである。即ちそれは天理である。将の法である。それは武士の道である。「仁」の術である。志としてこれを怠る者は、我が家康の子孫にあってはならない。

家康の政治は「仁」を基にしていたことがわかります。
日本古来の思想や儒教の思想が強く影響しています。

日本古来大切にされていた「仁」を今の政治にどう生かしていくのかが現代の日本人の課題です。
民主主義と「仁」の心はどう調和させるべきなのでしょうか。

次回は「権力編制に係る条々」です。

2015年11月22日日曜日

非常時局読本(第二十六回)「日本人よ、日本精神に還れ」

今回が最終回です。

非常時局読本 海軍少将 真崎勝次著
慶文社 昭和14年3月15日発行

123ページより

 これを要するに今まで縷々(るる)申し述べたが、結局は今次事変の原因は日本人が日本精神を失ったところにあるから、これが解決を図るためには、どうしても日本人が日本精神に還らなければならないのである。即ち日本精神の根源である大義名分に依って事の正邪曲直を明らかにし、以て聖戦の意義を知り、その解決を完全に図らなければならないのである。今後長期戦になればなるほどこれが一番大事な事となって来る。私は現下の我が国に取って最も憂うべきものは、実は外敵よりも、国内の思想問題であると考えている。依って日本人の全部が真に日本精神に還り、ここを基調として天皇中心に打って一丸となっておれば、決して恐れるところはない。恰もそれは黎明の明け行くが如く自然に国運の進展を見るに至るであろう。しかしてこの宇宙の真理たる日本精神に依ってのみ、真の世界平和を招来することもできるのであると確信するものである。
 この他非戦主義と敗戦主義との区別や、その他未だ申し述べたいことはいくらもあるが、以上に依って大体日本国体の本質と思想問題の正邪曲直を明らかにすることができたと考えるから、今回はこれで擱筆(かくひつ)する。

時局読本(終)

非常時局読本(第二十五回)「天皇御親政と日本精神」

今回は天皇御親政と日本精神についての話です。

非常時局読本 海軍少将 真崎勝次著
慶文社 昭和14年3月15日発行

120ページより

 天皇御親政ということについても非常な間違いがある。天皇親政というと 天皇陛下が直接すべて命令をお下しになるように考えている者があるが、そんなことは到底できないことである。それでまた反対に自由主義者は 天皇機関説でないと 天皇に責任が行くのでいけない、こういうことを言う者があるが、これも根本的に誤りである。日本精神では責任はすべて自分が取り手柄は上に譲るべきである。これが君に仕える者の心懸けである。しかるに却って反対に御上に於かせられては、天変地異に対しても 朕の不徳だと勅諭さえ御下しになっている。そこで人民はお上がそんなことをいわれてはたまらないと恐懼(きょうく)して輔弼(ほひつ)し進んで自分で背負い込むべきであって、命にかけても累をお上に及ぼすようなことはないようにするのが国民の務めである。
 御親政ということは大御心に帰一するようにする事であり、従って法規に依るべきものはこれに従って御裁可を仰ぎ、 天皇の御意思を通達するようにやって行く。また法規のないものは日本の 天皇には悪というものが一つもないから、天皇は現神で居らせられ、つまり天照皇大神の御心で居らせられる。故にその司司はその神の心を心として人民に接し、人民もまた神を拝む気持ちで仕事に従事し、そして三大神勅の精神を上下共に守って行くところに御親政の実がある、即ちその祭政一致が行われる。これが本当の天皇親政になるのである。
 大楠公の旗幟(はたじる)しの非、理、法、権、天について述べる。さすがに大楠公であると感心しているのである。その非、理、法、権、天というものは、今日の各思想の特徴を現しているように思われる。いわゆる非は理に敵(かな)わない、理は法に統べられる、法はまた権に倚(よ)る、権は最後に天の摂理には敵わない。これを楠公は旗印としておられた。これを近代の思想からいうと、非は非合理のことで共産主義に当たると私は解釈している。それから理は支那の王道である。王道は有徳者が帝位に即(つ)くが、時移れば有徳の者に譲るというところは理に適っているように思うが、これは易世(姓?)革命を認めているのであって、日本の国体とは絶対に相容れないのである。それから法というのは今の自由主義であって、法律中心主義である。権は権力至上主義ファッシズムである。我が国はこの五つの最後の天になっている。即ち最後にはいわゆる権力至上主義も天の摂理を基とする精神には敵わない。それは即ち日本精神が最後には勝つということである。楠公の非、理、法、権、天はこれを表しているものだと私は考えているものである。