2015年11月22日日曜日

非常時局読本(第二十四回)「財産奉還論と君民一体の精神」

大分お休みしてしまいました。
再開です。
今回は「統治」についてのお話です。
日本の「統治」と欧米、支那朝鮮の「統治」では内容が違います。
しかし、これは「仁」の精神がなるかないかで、理解できるかできないかが決まります。
日本人でも、世の中を「支配ー被支配」とでしか見えない人には、「統治」=支配になってしまいます。
日本古来の天皇の統治は「仁」に基づく、民を慈しみ、民の幸せを祈ることです。

非常時局読本 海軍少将 真崎勝次著
慶文社 昭和14年3月15日発行

117ページより

近頃日本の所有権はもともと 天皇のものであるから、何時でも必要な時はこれを奉還すべしといって、それを国体精神のようにいっている人がある。
 これは日本国体を尊重するごとくで実は国体に悖(もと)っているものである。我が国は建国以来「君民一体」の国であるから、臣民が財産を持っていても皆これ 陛下のものである。つまり「政府が持っているものばかりが 天皇のものでなく、臣民が持っているものも 天皇のものである」これが君民一体の大精神であって、また憲法の形式から言っても非常大権として定められている訳である。故に何も奉還奉還と騒ぐ必要はない。また学者の説によれば日本の統治は「統(すば)らす治(しら)しめす」ということである、三大神勅の中にもこの意義が明らかで 天皇が民を慈しみ育てるという事が日本の統治の意味である。
 外国の主権者のように人民のものを占有する私有するというような意味は含まれていない。また大国主命(おおくにぬしのみこと)以前は「統治」の言葉の代わりに「うしはく」という言葉が用いられた、ウシとは主ということ、ハクとは物を私有する占有する意義だそうである。さりながら、天照皇大神それ以後にはかかる言葉は使われていないそうである。ただし皇運翼賛の熱情の発するところ、生命も何のその、財産も何のそのと各自の熱意の発することは結構であるけれども、熱意をもって指導精神と定めてはならない。正しき指導精神のもとに各自が熱意を発することは望ましき事である。近来は故意か錯誤か知らないけれども、指導原理と熱意とを混乱して考えている人が多いようである、深く戒むべきことである。
 仁徳帝が高台に登り、民家の炊煙の立ち上るを見られて「朕は富めり」と仰せられたことは共にこの辺の消息を拝察するに足り畏れ多き極みである。

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