2016年11月14日月曜日

トランプは「神」を信じ、勝った。

パトリック・J・ブキャナン著の「病むアメリカ、滅びゆく西洋」という本を読むと、わかる。トランプの暴言は計算されていたと。

元々世界はどんな地域でもどんな宗教であっても「家族愛」を否定するような思想はなかった。それが、フランス革命以後「暴力による革命を経て家族愛のない苦痛のない世界」(その世界に向けたスローガンが「自由、平等、博愛」である)を目指すために、ルソー、マルクス、レーニンらが思想戦を仕掛けてきた。この思想戦に対抗したのが、エドマンド・バークであり、ハイエクやサッチャー、レーガンである。

それが、「暴力による革命ではその企ては失敗に終わる」と判断した連中がいた。それがアメリカに移住したマルクーゼやアドルノ等の「フランクフルト学派」の人たちである。その人たちは「文化から変えなければ、家族愛のない苦痛のない世界は実現できない」と考えた。そして、その人たちやその人たちに影響された人たちが、アメリカで日本で世界各地でじわじわとその勢力を拡大していった。「苦痛がなく便利で快楽が多い方が良いでしょ」と囁き、そういったメッセージを含む本、雑誌、新聞、音楽、映画、商品をばら撒くようにすれば、人は簡単に楽な方に流れる。苦痛を伴う愛や友情、近所付き合いなどのコミュニケーションは益々表面的なものになっていく。

「家族愛を否定する文化」とは、性における退廃つまりフリーセックス、同性愛を過度に優遇、女性の社会進出の奨励、苦痛のない生活の奨励(夫婦愛、子育てにはある程度の苦痛が必ず伴う)、権威・威厳を貶める(父親を尊敬させない)、犯罪者の優遇(家族を殺された被害者遺族より犯罪者を優遇)、国家の否定(国家権力への敵意を広め、移民の奨励やグローバリズムを通して、家族愛を根本とする国家を否定していく)などを含む。これらを新聞、テレビ、映画、出版物、大学以下の教育などを通して、広めていく。(日本などは憲法を通しても)そして、これらの作戦は大成功を収めていた。暴力による革命において家族愛のない世界を構築する「共産主義国家」はどんどん破綻していったのに比べ、「共産主義国家」の対極にあると思われていたアメリカ、日本、イギリス、フランス、ドイツなどで確実に「フランクフルト学派」の作戦はうまくいき、ウィルスのようにその文化は広がり、成功を収めていった。

彼らには得意技がある。フリーセックスや女性の社会進出をを非難すると「古臭い、女性を家族に押し込めようとしている女性差別だ」と、同性愛への嫌悪を述べると「同性愛者への差別だ」と、苦痛のない生活がちょっとでも邪魔されたり、犯罪者を非難すると「人権侵害だ」と、権威や威厳を大切にすべきだと言うと「ファシスト」だと、移民を制限すると言うと「レイシストだ、排他主義者だ」と、グローバリズム経済を非難すると「保護主義者だ」と相手を非難し、黙らせていく。
アメリカでのその象徴的存在がクリントン夫妻であり、オバマであり、今反トランプのデモを行っている人たちである。
その人たちの思想に名前を与えると、アメリカでは「リベラル思想」、日本では「サヨク思想」である。

EUの出現(国家の否定)、出生率の低下、虐待や離婚の増加(正に家族の否定)、グローバル経済(国家の否定であり、家族よりお金を優先)などが彼らの計画がうまくいっている証拠である。しかし、これは人類の滅亡へのカウントダウンでもある。「家族愛のない苦痛のない世界」とは、喜びも幸せもない世界であり、究極的には「人間に生きている意味を失わせる世界」であり、人類の自殺である。

それを食い止めるために、私は行動している。そして、恐らくトランプもそう考えている。

今まで、「家族愛を大切にする」保守主義者は思想戦でサッチャー・レーガン時代を除き連戦連敗を続けていた。そしてこの思想戦に勝つために、トランプは考えた。大衆の中に紛れている(保守政党と思われている政党にも紛れている)から、それらの思想を持つ人達をあぶり出し、密かにこれらの思想に違和感を感じている潜在的な保守主義者が立ち上がることに賭けた。トランプも論理的に勝てるとは信じてはいなかったに違いない。彼は「神」が人類を見放さないと信じた。51%を目指した。実際にはそれにはわずかに達しなかったが、勝った。
彼の暴言は相手に「女性差別、人権侵害、ファシスト、レイシスト、排他主義者、保護主義者」と言わせることが目的だった。今まで通用していた「相手をレッテル貼りすることで攻撃し、相手を黙らせる」作戦を逆手に取った。過剰に相手にそう言わせることで、今までそう言われてウンザリしていた人たちに、投票を暗に呼びかけた。アメリカ人の過半数がそのリベラル思想に侵されていたら、アウトだった。ギリギリ間に合った。

日本では安倍首相が誕生、イギリスではEU離脱、アメリカではトランプ大統領が誕生し、思想戦でやっと保守主義側がやっとリベラル・サヨク思想側に対抗できる体制ができた。

大衆の中に紛れていたリベラル・サヨク思想の人たちが今勢力を拡大するために結集し始めている。これは見ようによっては、大衆から分離されてきている。紛れいているものと戦うのは難しい。つまり、分離されているものと戦う方が容易である。日本でもアメリカでも人口に占める比率では約三割がその人たちである。この思想自体を根絶することは恐らく人間が苦痛を避けるという本能がある限り不可能と思われる。しかし、この人たちと拮抗し続けることは可能である。潜在的保守主義者(家族を大切にする人たち)が、サヨク・リベラル思想の人たちに、騙されず、黙らさせられなければ良い。インターネットの普及のおかげでサヨク・リベラルメディアは国民を騙すことが大分できなくなった。
日本では沖縄サヨクが分離し始めている。アメリカでは、グローバル経済の中心地(ニューヨーク)、大学の中心地(アメリカ東岸)、映画の中心地(ロサンゼルス)がクリントン支持であるようにリベラルの本拠地となり、地域的な分離が明確になっている。

分離の後の次の戦いは、恐らく教育の場であろう。それには、「哲学」の復活が不可欠である。西洋では「哲学」が全ての学問の基礎である。日本ではその考えは定着しなかった。それは明治維新の時に日本に偉大な哲学者がいなかったために、西洋哲学をきちんと輸入し、咀嚼できる人がいなかった。既に西洋においてサヨク・リベラル・共産主義思想が広がり始めていたため、正統な西洋哲学の代わりに先にそれらの思想が入ってきてしまったのである。これが日本の不運である。
しかし、今からでも遅くない。日本ならではの、学問の基礎となる「哲学」を構築しなければならない。それができる人は限られるが、やらねばならない。私もその一人になれればと考えている。

トランプは大統領になった途端、暴言は言わなくなると予想する。その必要がないから。政治とは常に「中庸」が重要である。極端な政策は大体害がある。そのため極端なことは言わなくなる。潜在的な保守主義者はそれに対しては、恐らく文句は言わない。文句を言うのは、リベラル思想の人たちである。「彼は嘘つきだ」と。トランプは「嘘つきだ」と言われていも気にしなければ、何の問題もない。

彼は「神」を信じ、勝った。人類にはまだ希望がある。


2016年7月10日日曜日

帝国憲法制定の精神 一

今日は参議院選挙が行われます。
改憲勢力が3分の2になるかどうかと新聞紙上には書かれていますが、安倍首相は帝国憲法を作った井上毅、金子堅太郎、伊藤博文、伊東巳代治らと同等の憲法観を持っているのでしょうか。
帝国憲法の精神を知るために、金子堅太郎の講演の内容が書いていあるこの本を連載します。
ぜひ、帝国憲法について、一緒に勉強しましょう。

金子堅太郎著
「帝国憲法制定の精神、欧米各国学者政治家の評論」
文部省、昭和10年8月発行

本書は昭和10年7月中旬本省憲法講習会に於ける金子堅太郎伯爵の「帝国憲法制定の精神、欧米各国学者政治家の評論」と題する講演の速記を伯爵の訂正補筆を経て上梓したる者なり。
昭和10年8月
文部省


私は松田文部大臣のご招待に依って、本席で「帝国憲法制定の精神、欧米各国学者政治家の評論」という問題に就き、諸君にお話しする約束を致しました。然るに中途にして
、昨年の大患以来の主治医の人々が、この炎暑の際に講演するということは見合わせてくれいうことで、文部大臣にもお断りを致したけれども、一度諸君にご通知になっているから、1日でもよろしいから来てくれということでありました。依って主治医の承諾を得て一日だけ罷りでることとなりました。然るに最初は二日ということにお約束を致しましたけれども一日になりましたにより、内容を省略しなければならぬことになりました。この事はお断りを申して置きます。なお日取りのことも昨日になってやむを得ざる事故があって、今日にお願い致しました。これも誠に皆さんに対してお気の毒に存じます。それから実は起立して講演すべきでありますけれども、主治医の注意があったに依って、文部大臣のご厚意に依り着席のままで宜しいということでありますから、着席して講演を致します。これもまたご了承を願います。
 さて今回松田文部大臣においては憲法講習会をお催しになりました、諸君をお招きになり、国体を明徴にする御会同であるから私にも罷り出るようにいうご依頼があった。依って国体を明徴にするにはまづ日本憲法の由来をお話することが最も必要と存じます。これ日本の憲法は国体に基づいて起草されているからである。これより私は我が国の憲法と国体の関係についてお話を致したいと思います。
 帝国憲法は叡聖文武にあらせられる 明治天皇の偉大なる叡慮を奉戴して、伊藤公が日本の歴史と国体を調べ、また海外各国の憲法を調査して、起草せられたるものであることは、諸君のご承知の通りである。伊藤公は一度大命を拝するや、その起草の方針を井上毅、伊東巳代治及び私の三人に示され、我々が起草して後四人相集まってこれを精査熟議した結果、伊藤公がその草案を闕下に捧呈せられ、次いで枢密院が創設せられ、その会議を経て発布せられたるものである。故に実は国体と憲法の関係についてこの席に出て講演をせられるべき適当は人は、伊藤公である。然るに伊藤公はハルピンに於いて兇徒の毒弾に倒れ、その次にはこの任を尽くすべき人は井上毅であるが、これを先年亡くなり、伊藤、井上の両氏を除いたならば伊東巳代治でありますが、この人も昨年逝去して、今はこの世にはなく、残る者はただ私一人であります。それで伊藤公を初め同僚の二人が、今もなおこの世にあったならば、今日この席に出て私より以上に明確なる説明をすることであろうと思いますけれでも、それらの人々は最早この世にあらずして私がわずかに生き残っておるのみである。しかもその私も昨年の大患でほとんど医師も絶望しておったくらいでありましたが、幸いにも奇跡にも回復いたしまして、残存しておるから、この席に於いて、憲法と国体の関係についてお話をすることは、残存者の義務と考えまして私が御請を致した訳であります。ご承知の通り憲法制定の由来については長い歴史があって、中々一場の講演では終わらなけれどもその要領のみを極めて簡単にお話し致しましょう。
 そもそも我が日本の憲法は、日本に二千五百年有余年継続している国体というものに基いてできたのであって、欧米諸国の憲法の如く帝王の圧迫に堪えずして貴族と人民が鉾(ほこ)を逆さまにして帝王に迫った結果できた憲法とは違う。また欧米諸国の如く人民が自由民権を主張するために帝王に迫って制定せしめたのでもない。全く 明治天皇の遠大なる思し召しに依って欽定せられたる憲法であるから外国の憲法と日本の憲法とを併せて同一の理論をもって解釈することはそもそも誤っていると私は確信する。しかし私が今日この演壇に登ってこの講演をするのは、徒らに政治の渦中に投じて政治問題につきかれこれ論議する意思を持っているからではない。また日本の憲法学者の誤謬を非難攻撃するような目的でもない。ただ 明治天皇の叡慮を奉戴して、伊藤公が我々に憲法の起草を命じられたのであったから、その憲法制定の精神をお話するのみである。私は何の私心もなく、ただこれから申し述べることは憲法制定の由来であって、全く事実そのままのお話を致すのである。憲法発布以来世には日本の歴史も知らずまた国体も弁えず、徒らに欧米の憲法の理論にのみ依って日本の憲法を解釈しようとするもののあるのは、一人日本憲法の精神を理解し能わざるのみならず、これを誤るものと私は信ずるものである。

次回に続きます。

2016年4月24日日曜日

儒学を理解できるのは選ばれた人のみか?

儒学の根本は「仁」であり、この根本思想は多くの日本人に理解できるが、儒学そのものを理解するには必要なものがある。

一つは「充分に愛された経験」。
次に「高い知能」。
最後が「忍耐力」である。

「充分に愛された経験」がなければ、まず「仁」の心が理解できない。
福沢諭吉は儒学者の子に生まれながら、「学問のすすめ」や「文明論之概略」を読む限り、「仁」の心を理解していたとは考えられない。
福沢諭吉の説く「徳」とは、「相手に苦痛を与えない」というかなり消極的なものである。
諭吉の家族についての記述を読むと、「家庭内では争いはなく、家族内では物が共有されている」旨が記載され、「全く苦痛のない家庭像」が描かれ、全く現実感がない。
諭吉が愛された経験がないかは証明できないが、必ず苦痛を伴う愛は理解できていないと思われる。

ここで、まず「愛(仁)」について整理したい。
「あなたを愛しています」と相手に言うのは大した愛ではないと思っている。
言うだけでなら、思うだけなら、簡単である。
愛とは大切な相手に対して、どれだけ尽くせるかである。
つまり自己犠牲である。
親の愛で喩えると、遠足の日の朝に「今日はコンビニで一番良いお弁当を買って来たわよ」と渡すのと、朝4時起きして作ったお弁当を黙って渡されるのはどっちの方が子どもに愛が伝わるだろうか。
また、愛には相手の気持ちを言葉だけでなく態度や行動から理解することが必要だし、完璧な人間はいないので相手の多少の嫌な部分も我慢しなければならない。
愛には必ず苦痛や面倒臭さを乗り越えることが必要だし、愛の強さは相手の対してどれぐらい苦痛に耐えられるかで決まる。
相手にどれだけ価値を感じられるかによって、その価値に見合った苦痛に耐えられる、それが愛だと私は考える。

この「愛」を知るには、自分が誰かに愛されるのが一番である。
自分のために、この人は自分の気持ちを察し、嫌な部分も受け入れ、苦労を厭わないで尽くしてくれたという経験があることで、「愛」の価値を知ることができる。
「愛」とは「苦痛を避け、快楽を求める」という本能に逆らわなければならない。
その本能に逆らってまで、苦痛を耐える必要は、「愛されてうれしかった」という経験が不可欠である。
だから、儒学の「仁」を学ぶには、「誰かに(多くは親)充分に愛された」という経験がないとどんなに知能が高くても理解できないのである。

儒学は、過去の支那の歴史的事実から哲学的な文脈を理解し、そこから「仁(愛)」の思想が政治的にも重要であることを説いている。
しかし、儒学では短い文章から「解釈する」ことが求められる。
儒学を学ぶには歴史を学ばなければならないし、想像力も必要であるし、漢文も読めなければならない。
儒学には、処世術も書いてあるが、そんな簡単なマニュアルではなく、結論だけ書いてあるが、なぜその結論が正しいのかに付いては、ある程度自分で考えなければならない。
世の中を理解するには、人情の機微がわからなければならず、複雑な思考が必要。
儒学を学ぶには、高い知能を要する。
だから、一般庶民向けの学問ではない。
だから、聖徳太子は一般庶民向けの思想として仏教を取り入れたのであろうか。

儒学の最終目標は、「修身、斉家、治国、平天下」という、政治を良くする、つまり国民皆が幸せに生活することである。
だから、政治を執り行う者には強い「仁(愛)」が必要になる。
国民の心を理解し、国民のために多くの苦痛に耐え、自分に対して嫌な思いをさせる国民のことも犯罪でなければ慈悲の心で受け入れることが必要である。
徳川家康は日本史上最大の政治家だと思う。
家康ほど苦労した政治家がいるだろうか。
早く母と別れ、父が殺され、何時殺されるかわからない人質となり、自分を慕う家臣の多くが飢え死寸前となり、初めの妻を殺さなければならない状況となり、長男を切腹させざるをえない。
それらを乗り越え、そのような悲劇を繰り返さないために天下の安泰を目指し、生き続けた。
家康と同じ境遇を耐え、それを乗り越えて生きられる人間がこの世にどのぐらいいるのだろうか。
家康に比べれば、信長、秀吉の苦労はまだ少ないのではないか。
家康の遺訓「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。」というのも、真偽の議論があるが、私は家康以外にこれを言える人がいるとは思えない。
儒学を真に理解するには、この多くの苦痛に耐え、それを乗り越える驚異的な「忍耐力」が必要なのだと思う。

だから、儒学を修めることができるのは、充分に愛され、高い知能を持ち、驚異的な忍耐力を持つというその時代にかなり少数の人である。
このような人たちが、「仁」の心を持って政治を執り行えるような仕組みが日本に必要だと思う。
今の日本はそのようになっているだろうか。
今の教育、行政、政治の制度がそのような仕組みになっているだろうか。
選挙制民主主義は、自己顕示力が強い人、権力志向が強い人、仁の心のある人が玉石混合状態で議員が選ばれる。
仁の心のある政治家を選べる仕組みが作れないものだろうか。

今考え中である。



2016年4月23日土曜日

日本になぜ孔子が生まれなかったのか?

日本では災害時に一般人が略奪をすることはない。
海外では驚かれるが、日本では当たり前のこと。
日本人からしたら海外がおかしい。

これは日本人の心の奥底に常に「仁」の心が潜んでいるからだと思う。

江戸時代家康の意向で儒学が広められた。
儒学の根本思想は「仁」であり、今で言うと恋愛を除いた「愛」である。
親子愛を基に、その愛を兄弟、夫婦、職場、友情に広げることとされている。
そして、その「仁」の徳を修め、家庭を「仁」の心で満たして治め、そして、為政者は「仁」の心で国を治める。
これが儒学の理想の世界である。

明治維新以後自由主義思想、サヨク思想に押されて儒学は廃れ、今や学校では論語の一部を教えられるぐらいである。
しかし、「仁」の思想が日本人の中には残っている。
一方の儒学の出身地支那では、「仁」の思想が残っているとは思えない。
弱肉強食、優しい人から食い物にされそう。
「仁」の心では生きていけない。

なぜ、日本では「仁」の心が残り、支那では廃れているのか、それが疑問だった。

それが、実家の厨子の中のご本尊の鏡を見た時にわかった。

三種の神器の一つも鏡である。

天照大神が「この鏡にうつるあなたを私だと思いなさい」と瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に渡した鏡である。

人は鏡がなければ自分の顔を知ることができない。
日本人にとって、「仁」の心は儒学が入る前からあり、しかし当たり前のように持っているので、自覚出来ない。
「災害時になぜ略奪しないのか」と訊かれても、わからないのと同じである。
儒学が入ってきて「儒学」という鏡があって初めて、日本人は自分の心の中の「仁」があることを気付けたのである。
だから、私もそうだが論語を読んで全てを受け入れている訳ではない。
「この部分は確かにそうだ。納得できる。」というところだけ、取り入れている。
儒学は所詮鏡なので「仁」の心を学ぶ良い教材ではあるが、鵜呑みにする教典ではないのである。

では、なぜ支那には儒学が生まれたのか。
孔子、孟子の頃は諸子百家の時代であり、支那では様々な思想が存在していたうちの儒学は一つに過ぎない。
孔子や孟子は自分以外の思想が近くに存在していたので、自分の思想を明らかにすることができたのである。
周りの人と自分の思想が同じだと自分の思想が理解しにくいが、周りの人と自分の思想が違えば、自分の思想がどのようなものか気付きやすくなるのである。

だから、孔子や孟子は日本に生まれず、支那に生まれたのである。

しかし、今日本では虐待や家庭内暴力、ストーカー、学級崩壊などが起こり、「仁」の心が少し廃れかかっていることがわかる。
だからこそ、今私は日本人の「仁」の心に気付けたのだと思う。

私の人生のテーマは日本人に「仁」の心を取り戻させ、その心を世界に普及させることである。


2016年3月11日金曜日

思想が違うと世界が全く違って見える。

いつも日本人に知っておいて欲しいけど図書館に置いてない文献を紹介していますが、私の意見も発信していきます。
もし読んで参考になりましたら、ツィッターなどで広めて下さい。

同じ映画、同じ本、同じ歴史を皆が違って感じるのは当たり前です。
人それぞれによって感じ方や考え方が違うので、誰も異論はないと思います。
しかし、善と悪が正反対になってしまったり、大幅に解釈が違うとは皆さん思っていないでしょう。
同じ日本人でも、同じものに対して正反対に感じてしまうのは、単に感じ方、考え方の個人差ではなく、世の中に対する見方つまり思想が違うからなのです。

それがどうしてそうなっているのかについて解説します。
簡単なものから言うと、「永遠のゼロ」という映画を見てどう感じるかということです。
「愛の強さとは大切な人のためにどれだけ苦痛に耐えられるか」という考えの人は、この映画を見ると涙が止まりません。
自分は親や恋人、恩師などの誰かに愛された経験があり、また自分も誰かを愛している人です。
しかし、「苦痛や危険は悪である」「自己犠牲などというのは狂気か、騙されたかのどっちかである」「愛とはセックスという快楽以外に意味はない」という考えの人にとっては、「ああいう物語はありえない、偽善の物語で、吐き気を催す」ような映画だろうと思います。
同じ映画でも正反対の反応になるのです。
この正反対の思想の人たちと議論して話がかみ合うでしょうか。
同じ世界にいながら、白と黒が逆になって見えているのです。

次に儒学についてです。
儒学のことは現代の人はほとんど知りません。
この私も最近、論語、孟子、中庸、大学などの四書や孝経、吉田松陰の講孟箚記(こうもうさっき)を読んで学んだばかりです(現代語訳ですが)。
儒学の本を読んだら、儒学で言う「徳(仁の心)」が身につくわけではないようです。
読む人に元々「仁」の心があるかないかによって、解釈が大きく異なってしまいます。
徳川家康や徳川光圀、幕末の思想家の藤田東湖、吉田松陰、横井小楠などは本気で「仁」の思想を信じていました。
「仁」とは、親や子どもを愛する気持ちを基に、先祖を愛し、配偶者を愛し、上司や部下を愛し、友人を愛し、愛をもって政治を行うという思想です。
それが、福沢諭吉のような自由主義者やサヨク思想の学者によると、「上下関係のある封建社会を正当化するための学問」という扱いになってしまいます。
ちなみに福沢諭吉にいう「徳」とは、「他人に迷惑をかけないこと」に過ぎません。
支那や朝鮮が元々儒教国家と言われながら、全く「仁」の思想が国民性の中にあるように見えないのは、自由主義者やサヨク思想の学者と同じように上下関係の道徳として認識され、悪用されて支配の道具になっていました。
このように、学問でさえ思想が違うと全く意味が変わって来てしまうのです。

最後に歴史についてです。
歴史とは単なる事実の連続ではありません。
歴史とは、過去の出来事を現代人の我々がどのような物語で解釈するかが歴史なのです。
だから、解釈に大きく影響する思想抜きに歴史のことは語れません。。
「苦痛は悪である」という考えに縛られている自由主義者やサヨク思想の人は、社会を「支配する者(苦痛を与える者)と支配されるもの(苦痛を与えられる者)」という構造でしか、世の中が見えていません。
そういう人たちにとって、歴史は全て「支配者―被支配者」として解釈されます。
そのため、天皇や将軍、武士は支配者、農民、被差別部落の人たちが被支配者になります。
殿様と家臣の間の忠義は全てではないにしても、「仁」を基にしたものだったはずです。
そうでなければ、殿様の死に続いて殉死する家臣のことを理解することはできません。
殉死とは愛する殿様への命さえ捧げる極度の愛です。
家康が殉死を禁止しなければならないぐらいでした。
自由主義者やサヨク思想の人からすると、殉死などは全く理解不可能なことです。
頭がおかしくなっているとしか考えられないでしょう。

それから、「仁」の思想の人からすると、天皇のために日本のため忠義を尽くして命を顧みず、志を遂げようとした楠正成は、忠義の士としての英雄ですが、自由主義者からすると「時勢が読めない武将」に過ぎず、逆にサヨク思想の学者からすると「豪族から生まれた革命家」となります。
同じ人なのにその人の生き様が全く違う解釈になってしまうのです。

私は、自由主義思想やサヨク思想より、日本古来の「仁」の思想の方が日本人は幸せに生きられると思っています。
心の中の思想の自由は保障されるべきですが、自分や他の人に迷惑をかける思想を論破していく自由もあります。
私は、このブログの中を通して、極端な(キリスト教が背後にない)自由主義思想、サヨク思想を論破し、日本人が本来の「仁」の心をを取り戻し、日本人が与えられた能力や環境の中で、それぞれが困難を乗り越えながらその役割を担い、それなりの幸せを感じながら、人生を全うできるように、貢献していきたいと考えています。

2016年1月31日日曜日

家康百箇条(一節および二節)家康百箇条の由来、仁教に関する条々

明治41年7月に発行された有賀長雄著の『増訂 日本古代法釈義』からの転載ですが、読みやすいように原文の現代語表記及び現代語訳を載せています。

家康の百箇条は本物偽物が混ざっているのか、いくつかある様ですが、有賀長雄先生を信じて、これが本物と思って載せます。
私は徳川家康は日本の歴史上最大の政治家だと思っています。
その家康が日本をどのように統治しようとしていたのか、本人自身の記録が少ないため、あまり国民に理解されていません。
この百箇条はほとんど本にも載っていません。
これを公開し、日本人自身が日本の歴史を見直す機会になれば幸いです。
原文を読むのが煩わしい方は、後に書いてある現代語訳を参照下さい。

同書726ページ
第42章

家康百箇条

一節 家康百箇条の由来
家康百箇条は、徳川一家の家典とも、政策ともいうべきものなり。家康百箇条は、これを徳川百箇条と混同すべからず。徳川百箇条は、徳川の刑律を編纂したるものにして、松平定信の手に成れり。家康百箇条は、家康が、随時下筆して、子孫に垂訓せるところなり。故に、かつて、これを公布せず、宝庫に秘蔵して、代々将軍の外は、時々大老に内示せしのみなりという。その末条に書して曰く、「我が建つるところの条々、治国平天下の大綱、即ち、将軍の職分なり。つぶさに、我が子孫に遺訓するに至りては、山筆海墨、これを尽くすことあたわず。ただ、我が志を写して、一巻となし付属す。我が百年の後といえども、この条目に照らし、志を観よ。子孫、これに違背する者、これあれば、将軍の器にも当たらず、我が子孫にもあらず」と。以下数節に於いては、本文の条項を、事目に依りて分類したり。

二節 仁教に関する条々
徳川氏の治世は、仁教を以て、本拠としたること、左の条々を以て、これを見るべし。

一、武威に驕り、帝位をないがしろにし、天地君臣の礼を乱れるべからず。およそ、国をもつ職分は、民を安祥ならしむるにあり。先祖を輝かし、子孫を栄えしむるにあらず。湯武の聖徳も、この旨を主とすべしと知るべし。
一、文武、皆、仁より出づ。千経万機といえども、その理同じ。治国平天下の法、ここにありと知るべし。
一、天下は天下の天下にあらず、また一人の天下にあらず。ただ、仁に帰すること、深く研究すべきこと。
一、仁は、己にあり。四経九経、自ら備わる。この旨、一日も離れるばからざること。
一、本朝は、神武顕明の地なれども、文学、異域に劣れり。よろしく、学校を設け、これに依り、国家の盛を鳴らしむべきこと。
一、天理の公、己に知るいえども、その行正からざれば、その罪、知らざるよりも重く、家を亡ぼし、国を乱し、災い、必ず興らん。過を知りて改めざるを、過としるべきこと。
一、三代の、天下を失うもの、夏は、桀に至りて、禹王の制教を忘れ、殷は、紂に至りて湯王の聖典を乱れり、周は、幽厲(ゆうれい)に至りて、文武の政事を怠る。秦漢以来、歴代、皆然らざるはなし、我が子孫も、また、我が規条に相違すれば、即ち、また、これに殊なることなけん。この旨、皆然り。将軍、代々の亀鑑なるべきこと。
一、君は、民の愛を知らず、民は、君の患を知らざれば、悪政なしというとも、暴行、自ら出づ。国君、仁を好めば、天下、敵なしとは、この理たるべきこと。
一、万国の辜(こ)、威、帝位の不徳に帰す。天下の不平、皆、将軍の不肖に帰す。徳は、共に、一心にあり。貴賤隔てざる地なり。上たる者、暫くも遺失すべからざる事。
一、仁、天下に及べば、即ち、内外尊卑を隔つることなし。日月の照らすところ、浄穢(じょうえ)を隔てざるはなし。聖人、これによりて、法を立て、親疎の次第、階級、、三鋼、八條、確固として抜くべからざる規たり。一人、天下に将たれば、即ち、諸士、皆臣たり。四海を臣とするにあらず。他家、当家、外様、旗本の差あり。他家は、皆、時の権柄(けんぺい)によるものなり。譜代の士は、由緒、当家にあり。その先祖、一々忠勤の士なり。記録に載するところ、明らかに見るべし。その親愛、他家に越え、他家憤らざるもの、その本に基づくによるなり。即ち、天理なり。将の法なり。士の道なり。仁の術なり。志、これを怠る者は、我が子孫にあらざること。

これを意味がわかりやすくなるように、現代語訳にしてみます。
家康百箇条(現代語訳)

一、武威に驕り、天皇をないがしろにして、天地、君臣の礼を乱してはいけない。国政を司る者の職分は、国民を安心して暮らさせることにある。自分の先祖を輝かし、子孫を栄えさせる事ではない。支那の湯王や武王の聖なる徳もこのことを主としていたことを知らなければならない。
一、文武共にこれは「仁」から派生している。それはどんな時であってもその「理」の正しさは同じである。国を治め天下を平らげるための方法は、まさにここにあると知らなければならない。
一、天下とはは天下の民のための天下でもない。また天下とは一人の支配者のためのものでもない。天下を治めるということは全て「仁」の心から始まる。このことは深く研究しなければならない。
一、「仁」の心とは自分の中にある。四書九経のような儒学の書に書いてある内容は、自分の中に備わっている。このことを一日も考えずにいてはいけない。
一、我が日本は神武天皇が興した地であるが、学問に関しては外国に劣っている。良いように学校を設立し、国家の盛んさを世界に知らしめなければならない。
一、天の「理」(つまり「仁」が根本であるということ)のことは自分の中にあると言っても、その行いが正しくなければ、その罪は、天の理を知らない事よりも重く、我が徳川家を亡ぼし、日本国を乱し、災いが必ず起こるであろう。自分の過ちを知って改めないのことが過ちであることを知らなければならない。
一、古代支那の夏殷周の三王朝の時代、夏は桀王の代になり、禹王の律を守る制教を忘れ、殷は、紂王の代になって湯王の聖典の教えを守らなくなり、周は、幽厲(ゆうれい)王の代になり、文王や武王のような政事を怠ってしまった。秦漢以来、歴代、いつも同様である。我が子孫もまた、我が家康の規条と違う事を行えば、即ちまたこれと同様なことになるであろう。このようなことは皆同じである。将軍となったならば、代々の模範となるべきである。
一、君主がわざわざ国民の愛を知ることもなく、国民は君主の憂いを知ることがない状態であれば、悪政はないと言われているが、乱暴な行いは自然と起こってくる。国の君主が「仁」を好めば、天下に敵なしというのは、このような「理」のことである。
一、どのような国の罪、暴力もその国の君主の不徳にその原因がある。天下の国民の不平は皆、将軍の不肖によるものである。徳というものは、君主、将軍、国民共に心を一つにできるかによる。日本では尊い人も卑しい人も分け隔てしない国である。上にある者は、このことをずっと忘れないようにすべきである。
一、「仁」が天下に及べば、即ち国の内外も(上下としての)貴い人も卑しい人もを隔てることがなくなるであろう。しかし、日月の照らすところ、清い、穢れているの違いはある。堯舜や孔子のような聖人はそのために、法を立て、親疎の次第、階級、、三鋼(?)や八條(?)を確固として守るべき規範とした。一人の人が天下の将となれば、そのことにより諸々の武士は皆臣となる。しかし、天下の人全員を臣とするのではない。他家と当家、外様、旗本の差はどうしてもある。当家となるか他家となるかは、皆その時の権力を誰が握るかによるものである。譜代の士は、由緒が当家と関係している。その先祖は一人一人が忠勤の士であった。記録に載っているので、明らかに見ることができる。その親愛は他家を越えているので、他家としても憤ることができない。つまり、その(その親愛の関係という)本に基づくによるものである。即ちそれは天理である。将の法である。それは武士の道である。「仁」の術である。志としてこれを怠る者は、我が家康の子孫にあってはならない。

家康の政治は「仁」を基にしていたことがわかります。
日本古来の思想や儒教の思想が強く影響しています。

日本古来大切にされていた「仁」を今の政治にどう生かしていくのかが現代の日本人の課題です。
民主主義と「仁」の心はどう調和させるべきなのでしょうか。

次回は「権力編制に係る条々」です。