2018年4月8日日曜日

十七條憲法 第三条 日本は古来「法治国家」

三に曰く、詔(みことのり)を承(う)けては必ず謹(つつし)め。君をば則(すなわ)ち天とし、臣(しん)をば則ち地となす。天覆(おお)い地載せて四時順行し、万気(ばんき)通うことを得(え)う。地、天を覆わんと欲するときは、則ち壊(やぶ)るることを致さむのみ。ここをもって、君言(のたま)えば臣承(うけたまわ)り、上行なえば下靡(なび)く。ゆえに、詔を承けては必ず慎め。謹まずんばおのずから敗れん。

三に言う。天皇より詔を承(うけたまわ)ったら、臣下は必ずそれに対して謹んで従わなければなりません。天皇とは例えれば天であり、臣下は例えれば地であります。この世界は天が覆い、地の上に載せているので、四季が毎年同じように流れ、万物の気が通うことができます。もし地である臣下が、天である天皇を逆に覆うようにする、つまり臣下が天皇を従わせようと欲したならば、たちまちこの国は壊れることになるでしょう。この理由により、国家元首である天皇が詔を発したならば、臣下はそれを承ります。上の者が指示したならば、下の者はそれに従わなければなりません。故に、天皇から詔を承ったら臣下は必ず謹んでそれに従いましょう。もし謹んでそれに従わない、つまり叛逆するようなことがあれば、それは自然の流れで国が滅びることにつながるでしょう。

この第三条は、単純な論理しか理解できないマルクス史観の人か、複雑な統治と言う仕組みを理解しようとする人かによって、意味が違ってきます。
マルクス史観の人はこう解釈します。「天皇が命令し、臣下はそれに従わなければならない」。天皇つまり「支配者」、臣下つまり役人や一般国民は「被支配者」と言う構図です。単純なので理解しやすいです。理解しやすいことと、実際にそれが本当なのかは、関連がありません。逆に国の統治のようなものが単純な訳がありません。

この第三条は現在も実質守られています。詔は現在の法律です。法律を公布しているのは誰でしょう。現在も天皇です。詔は「みこと・のり」つまり、天皇が公布した法、つまり国法、法律です。単なる天皇の命令の訳がありません。天皇が独裁者だったことはないのです。独裁者かそうでないかの見分け方は、「恣意的な統治」を行うかどうかです。国民主権だって独裁になりえます。フランス革命時のロベスピエールや選挙で選ばれたヒトラー、革命を起こしたレーニンだって「国民の代表」でした。しかし、恣意的な統治を行って、国民を殺しまくりました。国民主権の方がよほど悪い独裁者を生みます。古来天皇は「恣意的な統治」を行なっていたでしょうか。

抑も「詔」は誰が中身を考えるのでしょう。天皇の個人的な意見でしょうか。そんな訳がありません。大和朝廷では臣下の有力者か有能な者が大きな方針を考え、下級官僚の人たちが文面を整え、合議で決定し、天皇が発表した形にしたと思われます。現代とほとんど変わりません。今は政府与党、つまり与党と省庁の官僚で法案を作り、それを国会で議論し、決定したものを天皇が発布する、基本同じなのです。五箇条の御誓文や大日本帝国憲法だって、天皇が考えた訳ではありません。臣下が考えたものを「天皇から承った」と言う形にして、つまり「天皇が作って述べられた」と「見なして」いるのです。それを単純なことしか理解できない人達が、その「見なして」いる部分を、本当にそのまま受け取って、「天皇が命令している」と信じているに過ぎないのです。

そして、詔つまり国の法律を臣下、官僚だけでなく一般国民が従わなかったら、どうでしょう。「恣意的な」法律だったら、従いたくなくなるのも分かります。「恣意的でない」統治に必要な法律であれば、臣下、天皇以外なので国民全員が従うべきです。国民が従うことで、国民の節度ある自由や権利が守られた状態、つまり「社会の秩序」が守られるのです。もちろん、無限の自由や権利は認められることはありえないし、昔になればなるほど、身分によって自由と権利、そして義務の範囲は違ったことでしょう。しかし、国として、国民が「法による秩序」に守られて生きることが可能になった訳です。日本は古来「法治国家」、「法治主義」の国だったのです。