2014年8月22日金曜日

非常時局読本(第十一回)「大義名分に終始せる大西郷」

今回は西郷隆盛の大義名分についてです。

非常時局読本 海軍少将 真崎勝次著
慶文社 昭和14年3月15日発行

56ページより

十一、大義名分に終始せる大西郷

 誤れる英雄豪傑主義

 世間では南洲翁に関してもいろいろ解する者があるようであるから、これを正しく是正して置かぬと後日大なる影響があると考えるので、この点を明らかにして置く。それは南洲翁に関することで、ある人は「我が国に於いて五一五事件や或は二二六事件をやるようなことを教えたのは大西郷だとこういうようなことを言った人があると聞いている。しかしながらそういう見方をする人は自分自身が所謂ファッシズム、英雄豪傑主義に堕し、唯我独尊主義、勝てば官軍主義に陥って自分自ら日本精神を失っていることに気が付かないからである。そう言う思想を持った人から見ると南洲翁がああいうことをやって、英雄豪傑になられたから日本人が尊敬する位に思っている。思想の持ち方が違うと同じものを見てもかくの如く大なる間違いをしてしまうのである。
 ドイツやイタリアに於いてヒットラーやムッソリーニ等を指して英雄豪傑だと尊敬するのは、、それは結構なことであるが、日本に於いては無条件に全面的にヒットラーやムッソリーニを礼賛してその通りの行動を日本人として賞揚すると言う事になれば、それは「足利尊氏出ろ出ろ」と言って奨励するのと同じことになるのである。かくの如く大義名分が分からぬと目前の事実に全く眩惑せらるるのである。日本人は歴史の事実となると大義が教えてくれるから物の善悪順逆が分かるけれども、現在今日のことになるとはっきりと大義名分が分かっておらぬと、そういう滑稽じみた区別さえ付かなくなるのである。だからヒットラーやムッソリーニを、それは外国人として区別して尊敬しかつ惚れて、その人格、識見、力量等の長所を日本精神と通して国体に悖らぬようにして、これを取り入れて行くことにしなくてはならぬ。人格と混同して国体も弁えず、思想にまで惚れ込んでしまうようになるとつまり「日本に五一五事件や二二六事件を起こしたのは大西郷が教えたのだ」というような判断をすることになって来るのである。それならば何故に大西郷という人は日本人からあんなに大楠公と共に尊敬されているかというと、これは日本精神から見るとはっきりしているのである。しかし先に言ったように日本人は口には言わぬけれども、日本人の血の中には日本精神が通っているから、無言の中に大部はやはり正しい解釈を致している者もあるのである。ただ外国の思想に非常に囚われて血走っている者が間違った判断をして、西郷は英雄豪傑だから偉いと思い込んでしまうのである。能く能く考えて見るとすぐ分かる様に、日本人として一番大切なことは大義名分を知るということであり、次には男子としては情誼に厚いということである。

 日本人と外国人との情誼の差違

 この情誼について、少し横道に入るがお話をすると外国人と日本人とはこの点に於いて大変に違っているのである。外国人には恩義という言葉もない。義理という言葉も持たない。故に外国人は日本ほど恩義も知らなければ、義理も知らない。その一例を言うと、私はロシアの革命中にロシアにおって、その時分あるロシア人からロシアの復活祭によばれたことがあった。そうしてよばれて行ったところが大佐の未亡人が女中に雇われて来ている。その時に、その未亡人が六つくらいの男の子を連れて来ていたが、その子が丁度当時じょ私の長男と同じくらいであって余計に可哀想になって、恰も熊谷蓮生坊のような考えを起こした。大佐の未亡人と言えば革命さえなければ立派に暮らせる人であるが、革命のためにこういうところに子どもを連れてまで女中奉公をして過ごしているか、可哀想な者だと思い、非常に同情して当夜持っておったところの金を全部くれてしまった。そうするとその母親は子どもを連れて来て「おじさんにありがとうとお言い」というような訳で、その晩は普通にお礼を言ったのである。ところが翌日市中を歩いていると図らずもその夫人が買い物の籠を持って帰って来るのに会った。私は日本人だから日本精神的に考えて「昨晩はありがとうございました」とまた言うだろうと思って、そう言うことを内心予期しながら挨拶しようと思って近づいて行った、すると向こうは黙ってすっと歩いて行ってしまう。こっちは恰も恥をかかされたような格好になってしまった。可笑しい事だなと思って見ていたが、その後ずっと長い間研究をしてみると、彼等ほ心理状態は昨晩はなるほどお世話になったが、それはありがとうと言ったからそれで総決算は済んだというのが彼等の考え様である。これは一つも間違いのない彼等の心理状態である。
 これが日本人ならば、自分がお世話になれば自分の子どもにまで良く言い聞かせて「自分はあの家にはこれこれこういう御恩になったからお前達もその恩を忘れてはならぬ」いわゆる主従は三世までというくらいに教えて恩義というものは尊重して暮らしている。日本人はそういう情誼の厚い国民である。また外国人には人情の発露たる心中というものは一つもない。もとより心中のいうことは良い事ではないけれども、向こうにはそういうものは一つもない。なぜかと言うと、つまり実利主義にものを考える。唯物的に考えるから「生きておってこそ愛があるのではないか、死んでから愛などあるものか」というような考え方が彼等の心理であるから心中等というものは一つもないのである。純情の極、誤りとは言いながら心中まで行くというようなことではない。ましていわんや殉死等ということは彼等は気違いだ狂気だと思っている。そういう風に精神状態が違う、人情が違う、それだから日本の国体というものは彼等には分からないはずである。また清々しいところの潔癖性等について見ても同様である。例えていうと日本人は晒し木綿で褌を一つ拵えても、一旦褌と名がつけば既に言葉に魂がある。日本人はこの言霊を重んずる。故に褌と言う名がつけばもう既にこれは普通の木綿ではない。それを頭に載っけたり、あるいは食物の上に載せたりすれば汚いじゃないかという気がするのである。そういう風に実に日本人は潔白の心がある。ところが西洋人になると「古褌でも洗濯すればばい菌はいらぬじゃないか、褌でも普通の布と違わないじゃないか」という、これが彼等の考え様であって、実利を取ろうとする、そういうようにして理屈ででっち上げた憲法で作ったのが向こうの国家である。これに対して日本の国家の建設は天の摂理に基づいているのである。そうして生成化育して君民一体「国を肇むること宏遠に徳を樹つること深厚」に重なり重なって出来て来たのが我が国である。大義の線に沿って情誼が重なり重なって出来て来たのが我が日本の国体である。しかるに外国流に法律と憲法で日本の国体を解釈しようとするから分かる訳がないのである。

 憲法問題の論争

 彼の憲法問題で天皇機関説が議会で喧しい時でも私どもはそう思っておった。日本はもちろん言挙げせぬ国であるから話は非常に下手で言い現すことはうまくない。しかるに反対に何事でも揚げ足を取る事が西洋の科学の特徴である。そこで日本人は言い現したり、文句に書き連ねたりすると多少の欠点がある、だから西洋の特徴を発揮してその言葉尻を掴まえて揚げ足を取ろうとすると取り様はいくらでもあろうが、そういうような気分になることはそもそも根本が間違っているのである。もし書き方を誤ったり、言い現し方が拙かったりしても、日本精神を基調として国体として国体の根源から解釈しようとするならば、ああいう天皇機関説のようなものは起こる訳がない。文句の末節を議論して何故に揚げ足を取るような精神になるのか、そういう思想になるという事が根本の誤りだと考えるのである。その点が充分議会に於いて論議が尽くされなかったことは当時私は残念に思っていた。外国の憲法政治とは斯くの如きものであると簡単に考えてしまって、日本の憲法の解釈は間違っているというような言い方をするのが天皇機関説の 天皇に対する考え方である。そういう考え方をしようとするのは、既に精神が日本精神と違っているからである。これを日本精神即ち神代からの伝統的な建国の理想を以て憲法を解釈するならば、理由が拙くても言い様が拙くても、決して脱線することはない。ことさらに脱線させようとしてもこれを外国流に解釈しようとするからそういう錯覚に陥る。ただ揚げ足を取るような議論をするよりも、何故に日本精神を以てこれを解釈しようとしないのか、そういう所に真の禍根があるのである。

 大義と情誼に殉したる大西郷

 そこで南洲翁の場合を再び申し上げると、南洲翁は当時維新後の状況を深く観察せられて、これでは折角御一新をやったけれども、将来本当に皇謨(こうぼ)の翼賛になって行くかどうかということについて非常に憂を持たれた、これでは真の王政復古もできないと思われた。即ち天皇機関説、議会中心主義になると思われて、そこで自分が論功行賞で貰った金で私学校を作られた、そうして文武各方面に人材を養って、その維新の皇謨を翼賛して行くために努力しようというので学校をお造りになったのである。あれは決して騒動を起こさせるために造られたのではない。しかしながら私学校の生徒にしてみると、あの偉い人を—偉い人とは正しい人ということである。その正しい人を時の政府が葬るものだから弟子達としては鬱憤遣る瀬ない点があった、それで度々翁に対して蹶起を促しているけれども、翁は「そんな大それた事はするものではない」と言って、これを抑圧しておられた。それで南洲翁が狩りに行っておられた留守に火薬庫より弾薬を盗んで蹶起してしまった。その時の南洲翁の言葉も「ああしまった」こういうように嘆いておられる。その一言を以てしても、これが南洲翁の意志でなかったことは明白である。しかしながら自分が育てた子どもがやったのに自分だけ逃げるというのは日本人の情誼に悖るから情に絆されて立つは立ったものの、大義は紊(みだ)せないから初めから負ける積りであるが、やらすだけはやらして負けさして、そうして最後の解決をすればよいという気でいられたらしいのである。勝つべき戦を勝つ方法を採らないで戦は桐野一味に委(まか)せて、最後に城山で弾丸を喰って、自分は別府晋作に首を落とさして最後を遂げられた。こういう戦をしておられる。これを以てしても分かるのであるが、ああいう際に情誼を完全に履行して行くことはなかなか困難である。また更に大抵の者は戦を始めた以上は勝ちたくなるのが人情である、勝ってしまへという気持ちになる、それを大義の前にはそういう順逆を誤ることをしてはならないと、言い換えれば「こういうことは日本の臣民として決してやってはいけない。やれば俺のように負けてかような最後を遂げるぞ」という事をお示しになっている。これが日本人として最も重要な事である。南洲翁はこの最も困難な場合にこの最も重要な点を実行されたというところに南洲翁の偉い所がある。また維新の元勲だから偉いというけれども、これも元勲とは何ぞやと申すと、御一新は要するに王政復古で元勲が大義名分のために戦っているから偉いのである。そういう訳で大義をはっきり認識されて、そしてこれを実行されまた日本人独自の美点たる情誼を完全に尽くされたという点を当時の日本人は知っておったに違いない。今日の日本人は多少ぼんやりしているかもしれないが、当時の人達はその点を見て大西郷大西郷と言って尊敬しているのである。それを英雄至上主義の思想に囚われると「南洲翁はああいうことをやって、英雄、豪傑になられたから偉いのだ」こういう訳で尊敬されていると思うようになるのである。かくの如く思想が違うと物の見方が凡て違ってしまうので危険である。


 大義と情誼を共に大切にするのが日本精神です。この思想は親や誰かに十分に愛されて育った人にしか理解できない思想です。だから、西洋思想にかぶれた人、つまりサヨク思想の人やヒトラーに憧れる右よりの人には何度説明しても理解できないと思います。
 皆さんはどう思いますか?

2014年8月21日木曜日

非常時局読本(第十回)「大義名分の絶対性」

引き続き「大義名分」についての話です。

非常時局読本 海軍少将 真崎勝次著
慶文社 昭和14年3月15日発行

54ページより

10、大義名分の絶対性

 しかして大義名分は国体の本源から発足した最も尊き、最も大事なものであって、日本のみに存するもので、それは決して良い加減なものに理屈をつけて日本人だけが良い子になろうとするものではないのである。その尊厳性絶対性を良く理解しまた理解せしむる事が混乱せる思想を統一する基であり、時局解決の鍵であるということを悟らなければならぬ。しかるにある人の話に相当の地位にある人が「君は日本精神だ、大義名分だと言うけれども、共産主義には共産主義の大義名分があり、自由主義には自由主義の大義名分があり、ファッショにはファッショの大義名分がある、それだから君は一人よがりを言っても駄目だ」と言われたそうであるが、これらは全く言語道断で何とも挨拶の致し方がないくらいで、実は先にも申したようにその点が日本に非常時が来た根本である。言うまでもなく大義名分は建国以来の日本の君臣の分を基調として、天地開闢(てんちかいびゃく)宇宙の生成化育の原理を理想とし、信念としたるところに発し、古今に通じて 謬(あやま)らず、中外に施して悖らぬものである。しかるに共産主義にその君臣の関係等あり様がないのに、共産主義には共産主義の大義名分がある等と言うのは驚き入った次第である。もちろん共産主義にもその主義主張はありましょう、假令誤っていても理想もありましょうが、大義名分は絶対にない。自由主義も同様である、大義名分は日本だけにあるのである。我が国に於いてはこれは善悪の絶対基準であるから、余計な理屈に囚われず万古に栄え行くのである。単に理屈のみで言うならば所謂泥棒にも五分の理屈と言うこともあって訳は分からなくなってしまう。

私の解釈ではこの「大義名分」の意味は、親子の愛情を基礎に(天皇と臣民の関係も親子の関係に近い)国の中で人がそれぞれの役割を行い(人間の体の中で細胞それぞれが自分の役割を果たしているように)、国民皆が安全かつそれなりの幸せな人生が送り(緊急事態は除き)、良い国を次の世代に引き継ぐという「目的意識」です。
皆さんはどう考えますか?