2014年8月21日木曜日

非常時局読本(第十回)「大義名分の絶対性」

引き続き「大義名分」についての話です。

非常時局読本 海軍少将 真崎勝次著
慶文社 昭和14年3月15日発行

54ページより

10、大義名分の絶対性

 しかして大義名分は国体の本源から発足した最も尊き、最も大事なものであって、日本のみに存するもので、それは決して良い加減なものに理屈をつけて日本人だけが良い子になろうとするものではないのである。その尊厳性絶対性を良く理解しまた理解せしむる事が混乱せる思想を統一する基であり、時局解決の鍵であるということを悟らなければならぬ。しかるにある人の話に相当の地位にある人が「君は日本精神だ、大義名分だと言うけれども、共産主義には共産主義の大義名分があり、自由主義には自由主義の大義名分があり、ファッショにはファッショの大義名分がある、それだから君は一人よがりを言っても駄目だ」と言われたそうであるが、これらは全く言語道断で何とも挨拶の致し方がないくらいで、実は先にも申したようにその点が日本に非常時が来た根本である。言うまでもなく大義名分は建国以来の日本の君臣の分を基調として、天地開闢(てんちかいびゃく)宇宙の生成化育の原理を理想とし、信念としたるところに発し、古今に通じて 謬(あやま)らず、中外に施して悖らぬものである。しかるに共産主義にその君臣の関係等あり様がないのに、共産主義には共産主義の大義名分がある等と言うのは驚き入った次第である。もちろん共産主義にもその主義主張はありましょう、假令誤っていても理想もありましょうが、大義名分は絶対にない。自由主義も同様である、大義名分は日本だけにあるのである。我が国に於いてはこれは善悪の絶対基準であるから、余計な理屈に囚われず万古に栄え行くのである。単に理屈のみで言うならば所謂泥棒にも五分の理屈と言うこともあって訳は分からなくなってしまう。

私の解釈ではこの「大義名分」の意味は、親子の愛情を基礎に(天皇と臣民の関係も親子の関係に近い)国の中で人がそれぞれの役割を行い(人間の体の中で細胞それぞれが自分の役割を果たしているように)、国民皆が安全かつそれなりの幸せな人生が送り(緊急事態は除き)、良い国を次の世代に引き継ぐという「目的意識」です。
皆さんはどう考えますか?

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