2015年1月12日月曜日

非常時局読本(第十九回)「戦時に於ける統制」

非常時局読本 海軍少将 真崎勝次著
慶文社 昭和14年3月15日発行

105ページより

十九、戦時に於ける統制

 次に戦時に於いて若干はどうしても統制しなければならぬが、それは統制主義がよいからという意味でやるのでなく、戦時の特種の事情下にやむを得ず行う政策である事を理解しなければならぬ。それをよく理解せずして統制が主義上一番よろしい等と考えて行くとその結果は共産主義になってしまうのである。即ち戦時は戦争に勝つ事が唯一の目標であるから直接戦争に必要なことに力を入れ、戦争に直接必要でない方面は節約して行わねばならぬのであって、好んでやるべきものではないのである。もし統制主義という理想的に主義がある等と考えると統制のために統制する事になり、先に言ったようにスターリンのやり方と同様になる訳であるから、主義と実際とはよく区別して考えなければならぬ。また立法をするにも法の運用をするにもその支配を受くるのも日本国体の本義即ち義は君臣、情は父子と言う事を忘れてはならない。世の中は光線が強いと陰は之に比例して暗くなる様に、統制で官権が強くなるとまた民間の暗黒な力も強くなる、また中間には官吏の代わりをする者が出来て却って政府の権力は弱くなり、遂には国を乱す様になるのは歴史の示す所である。斯くの如く統制は毒ガスのようなもので使い方を間違えると全く味方を殺し自殺する事になるのである。大いに注意して実行せねばならぬ、と同時に計画の必要と統制とを履き違えてはならぬ。

2015年1月11日日曜日

非常時局読本(第十八回)「共産主義の基礎をなす平等観」

非常時局読本 海軍少将 真崎勝次著
慶文社 昭和14年3月15日発行

101ページより

十八、共産主義の基礎をなす平等観

 次に所謂平等観をもって正義だと思っているのが共産主義になるのである。ところが実際現在の世の中には一つも平等なるものはない、ないから総ての現実を否定して来る。現実を否定して来るから現状を破壊しなければならぬ。そこで革命になるのである。しかして共産主義、社会主義の特徴は自己の反省というものが一つもないのである。自分が貧乏しているのは自分の能力が足らぬということや、或は自分の努力が足らぬことを反省しないで、これは皆社会制度が悪いと言って、何でも罪を人に被せるのが特徴である。同じ戦で負けても、昔の日本武士は自分の修行が足らぬから負けた、こういう風に自己反省をして、そうして努力をする。また敵ながら天晴だと言って敵の良い所を誉めている。そしてその良い所を自分で学んで屈せずにまた起ち上がる。こういうのが所謂日本精神である。真の共産主義というものは、一九二〇年頃ロシア革命の直後これを行った。ところがご承知の通り忽ちにして大飢饉になって数百万の人が死んでしまうようなことで実際には之は立ち行かない。つまり皆が楽にはならず皆が乞食になるのであって、立ち行かないか色々看板をかえて新経済政策と称し、新々経済政策、或は第一次五ヶ年計画、第二次五ヶ年計画といって、鈍重なるロシア人を誤摩化し羊頭を掲げて狗肉を売っているのである。列国に対してもまた国民に対しても今更共産主義は悪いとは言えないから所謂新経済政策、新々経済政策と称して所謂統制経済をやっているのである。(計画の長所は見る必要がある)故に本当の共産主義即ちマルクスやエンゲルス、或はレーニン、トロッキーが言ったような共産主義というものは、私の見る所では実際上は世界に存在しない。観念上或は学術上でそういう共産主義というものはあるけれども、実際に彼等が考えておったように貨幣制度もやめる、銀行も止めるというような共産主義を実行できるものと思っている者は一人もないと思う。之はロシアの実験ではっきり分かった次第である。もっとも西洋では二十歳代に社会主義にならぬ者は心臓がない、熱がない、頭がない、又三十過ぎまで社会主義を称える奴は馬鹿だというような噂もあるけれども、共産主義は今のようにロシアで実験済みである。だから世界中でロシア人が一番共産主義にはもう懲り懲りしている。しかしまた革命になって悲惨な思いをするよりよいと考えているのが真相である。さりながら共産党だけは一国一党主義でやっている。彼等は是をいけないと言う時は自分の首が飛ぶ時であるから、詮方ない訳である。本当に之が良いと思っている者は一人も居らぬと思う。今日の実情は所謂一国一党で国家管理、極端なる統制でもってやっている有様である。之がスターリンの共産主義である。これ以上のことをやろうとすると直に飢饉に襲われて人民が死んでしまうから出来ない相談である。私は共産主義の基礎を成す平等観というものは、むしろ日本人が今日一番強いのではないかということを憂えている次第である。また日本人には社会政策と社会主義の区別のつかぬ者が多いのである。

非常時局読本(第十七回)「統帥権と各思想との関係」

非常時局読本 海軍少将 真崎勝次著
慶文社 昭和14年3月15日発行

96ページより

十七、統帥権と各思想との関係

 皆さんも未だによく記憶して居らるる事と思うが、最もやかましかった第一次ロンドン会議の如き、その時に標語は世界平和のための軍縮会議、また国民の負担を軽減するために軍縮をやるんだというのであったが、その結果は先に詳しく言ったように全く正反対に国内に於ける各種不祥事の原因となり、また今次事変の間接の大原因となっている次第である。金もまた昨年は八十億、本年も百億に近い膨大な予算を要する事になったのである。何事もご都合主義に目前の難を避け、易につき、その日その日の事なかれ主義をやっておると、最後には大事になることは之によって明らかである。それだから常に確固たる指導原理を持ち、これを規尺として物の善悪を、事の是非を判別して大義名分の下に解決して行くようにする事が必要である。次に統帥権と各思想との関係を述べると一番はっきり分かるからお話するが、自由主義は統帥権の独立ということを認めない。これは日本独特の国体を真に認めぬから左様になる訳である。しかして統帥権の独立は国体を直接擁護して行く力である。だから前にも言った通りに勅諭の中にも
 「その兵馬の大権は朕が統(す)ぶるるところなればその司司をこそ臣下には任すなれ、その大綱は朕親(みずから)之を撹(と)り肯(あ)て臣下に委ぬべきものにあらず、子々孫々に至るまで篤く斯く旨を伝え天子は文武の大権を掌握するの義を存して再び中世(なかつよ)以降の如き失体なからんことを望むなり」
と仰せになっているのである。この軍隊に賜った勅諭がもう少し一般に普及しておると、そういう点がはっきりと一般にも分かって来ると思うのであるが、一般の方はご承知がないから困る。そういう風な大事な統帥権に関して、自由主義はこれを政府のものなり、即ち議会の監督を受くべきものなり、という風に解釈している。それだからそれに対抗して統帥権の独立が叫ばれたのであるが、本当に皇道精神をもってこの独立を主張したのと、それからファッシズム精神をもってこの独立を叫んだのと二つあった訳である。言語から見ると二つとも独立であるから、差別はないように思われたが、それが誤りの初めであって、一面今日ファッショを日本精神の如く考えたのもこの所に起因する点もあるのである。そこで、独立は独立だけれどもファッシズムの思想から言えば、その統帥権は自分のものだと考える、自分の独占と考える。そう考えるからいわゆる日本にあるまじき各種の事件が起こって来る訳である。一体皇軍は国体擁護のためになるのであるから、これを破壊する者は内敵たると外敵たるを問わず、討伐すべきであるけれども、之は自分勝手に討伐すべきではない。一に絶対に大命に依って発動すべきである。ところが権力至上主義に捉われると権力の権化となり何事も独占の感にとらわれ、遂に自分が権力者になり切って、自分の判断で勝手に討伐するような間違いが起こりやすいのである。
 日本精神からいうと統帥権の独立を叫ぶのは本当に 陛下のものにせんが為である。凡て軍隊の発動は大命に依るべきものであると思っているからそこに過ちが起こらない。威厳あって過ちなく一つも無理がないのである。そういう風に大事な統帥権、国体擁護の根本とも言って宜しいような統帥権に付いても、思想的には斯様な差別があるのである。またこれを人格、道徳的に区別して見ると、例えば会社の社長なら社長が、自分が金があるから大きな顔をして威張っておっても宜しい、そういう風な考えを出して来るならば、それは自由主義の思想から出て来る考えである。また俺は会社の社長であってお前達の首を切る権利があるから偉いのだぞ、こういう風に思うならば、それは即ちファッショの思想から出て来る考え方である。自分等がお互いに安楽にこうして暮らしていられるのは御陵威の御力であると感謝の念に満ちて考えるならば、それは日本精神から出る考えである。しかして之は何も上の者ばかりの事ではない、下に使われている者も同様である。今のように商店法が施されて夜十時過ぎると、それから先は俺の権利だという風に考えるのは、それは自由主義の思想から来る考え方である。そこを日本精神で見ると我々がこうして安楽に起居が出来るのは主人のお陰である、主人の為に今よりもっと充分に働かねばならぬという考えが起こって来る。此の何れが良いかということは、之は最早論ずるまでもない。本当に心の安定は日本の精神で初めて得られることは、それ等の事実からしてもはっきりして居ると思うのである。