2016年4月24日日曜日

儒学を理解できるのは選ばれた人のみか?

儒学の根本は「仁」であり、この根本思想は多くの日本人に理解できるが、儒学そのものを理解するには必要なものがある。

一つは「充分に愛された経験」。
次に「高い知能」。
最後が「忍耐力」である。

「充分に愛された経験」がなければ、まず「仁」の心が理解できない。
福沢諭吉は儒学者の子に生まれながら、「学問のすすめ」や「文明論之概略」を読む限り、「仁」の心を理解していたとは考えられない。
福沢諭吉の説く「徳」とは、「相手に苦痛を与えない」というかなり消極的なものである。
諭吉の家族についての記述を読むと、「家庭内では争いはなく、家族内では物が共有されている」旨が記載され、「全く苦痛のない家庭像」が描かれ、全く現実感がない。
諭吉が愛された経験がないかは証明できないが、必ず苦痛を伴う愛は理解できていないと思われる。

ここで、まず「愛(仁)」について整理したい。
「あなたを愛しています」と相手に言うのは大した愛ではないと思っている。
言うだけでなら、思うだけなら、簡単である。
愛とは大切な相手に対して、どれだけ尽くせるかである。
つまり自己犠牲である。
親の愛で喩えると、遠足の日の朝に「今日はコンビニで一番良いお弁当を買って来たわよ」と渡すのと、朝4時起きして作ったお弁当を黙って渡されるのはどっちの方が子どもに愛が伝わるだろうか。
また、愛には相手の気持ちを言葉だけでなく態度や行動から理解することが必要だし、完璧な人間はいないので相手の多少の嫌な部分も我慢しなければならない。
愛には必ず苦痛や面倒臭さを乗り越えることが必要だし、愛の強さは相手の対してどれぐらい苦痛に耐えられるかで決まる。
相手にどれだけ価値を感じられるかによって、その価値に見合った苦痛に耐えられる、それが愛だと私は考える。

この「愛」を知るには、自分が誰かに愛されるのが一番である。
自分のために、この人は自分の気持ちを察し、嫌な部分も受け入れ、苦労を厭わないで尽くしてくれたという経験があることで、「愛」の価値を知ることができる。
「愛」とは「苦痛を避け、快楽を求める」という本能に逆らわなければならない。
その本能に逆らってまで、苦痛を耐える必要は、「愛されてうれしかった」という経験が不可欠である。
だから、儒学の「仁」を学ぶには、「誰かに(多くは親)充分に愛された」という経験がないとどんなに知能が高くても理解できないのである。

儒学は、過去の支那の歴史的事実から哲学的な文脈を理解し、そこから「仁(愛)」の思想が政治的にも重要であることを説いている。
しかし、儒学では短い文章から「解釈する」ことが求められる。
儒学を学ぶには歴史を学ばなければならないし、想像力も必要であるし、漢文も読めなければならない。
儒学には、処世術も書いてあるが、そんな簡単なマニュアルではなく、結論だけ書いてあるが、なぜその結論が正しいのかに付いては、ある程度自分で考えなければならない。
世の中を理解するには、人情の機微がわからなければならず、複雑な思考が必要。
儒学を学ぶには、高い知能を要する。
だから、一般庶民向けの学問ではない。
だから、聖徳太子は一般庶民向けの思想として仏教を取り入れたのであろうか。

儒学の最終目標は、「修身、斉家、治国、平天下」という、政治を良くする、つまり国民皆が幸せに生活することである。
だから、政治を執り行う者には強い「仁(愛)」が必要になる。
国民の心を理解し、国民のために多くの苦痛に耐え、自分に対して嫌な思いをさせる国民のことも犯罪でなければ慈悲の心で受け入れることが必要である。
徳川家康は日本史上最大の政治家だと思う。
家康ほど苦労した政治家がいるだろうか。
早く母と別れ、父が殺され、何時殺されるかわからない人質となり、自分を慕う家臣の多くが飢え死寸前となり、初めの妻を殺さなければならない状況となり、長男を切腹させざるをえない。
それらを乗り越え、そのような悲劇を繰り返さないために天下の安泰を目指し、生き続けた。
家康と同じ境遇を耐え、それを乗り越えて生きられる人間がこの世にどのぐらいいるのだろうか。
家康に比べれば、信長、秀吉の苦労はまだ少ないのではないか。
家康の遺訓「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。」というのも、真偽の議論があるが、私は家康以外にこれを言える人がいるとは思えない。
儒学を真に理解するには、この多くの苦痛に耐え、それを乗り越える驚異的な「忍耐力」が必要なのだと思う。

だから、儒学を修めることができるのは、充分に愛され、高い知能を持ち、驚異的な忍耐力を持つというその時代にかなり少数の人である。
このような人たちが、「仁」の心を持って政治を執り行えるような仕組みが日本に必要だと思う。
今の日本はそのようになっているだろうか。
今の教育、行政、政治の制度がそのような仕組みになっているだろうか。
選挙制民主主義は、自己顕示力が強い人、権力志向が強い人、仁の心のある人が玉石混合状態で議員が選ばれる。
仁の心のある政治家を選べる仕組みが作れないものだろうか。

今考え中である。



2016年4月23日土曜日

日本になぜ孔子が生まれなかったのか?

日本では災害時に一般人が略奪をすることはない。
海外では驚かれるが、日本では当たり前のこと。
日本人からしたら海外がおかしい。

これは日本人の心の奥底に常に「仁」の心が潜んでいるからだと思う。

江戸時代家康の意向で儒学が広められた。
儒学の根本思想は「仁」であり、今で言うと恋愛を除いた「愛」である。
親子愛を基に、その愛を兄弟、夫婦、職場、友情に広げることとされている。
そして、その「仁」の徳を修め、家庭を「仁」の心で満たして治め、そして、為政者は「仁」の心で国を治める。
これが儒学の理想の世界である。

明治維新以後自由主義思想、サヨク思想に押されて儒学は廃れ、今や学校では論語の一部を教えられるぐらいである。
しかし、「仁」の思想が日本人の中には残っている。
一方の儒学の出身地支那では、「仁」の思想が残っているとは思えない。
弱肉強食、優しい人から食い物にされそう。
「仁」の心では生きていけない。

なぜ、日本では「仁」の心が残り、支那では廃れているのか、それが疑問だった。

それが、実家の厨子の中のご本尊の鏡を見た時にわかった。

三種の神器の一つも鏡である。

天照大神が「この鏡にうつるあなたを私だと思いなさい」と瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に渡した鏡である。

人は鏡がなければ自分の顔を知ることができない。
日本人にとって、「仁」の心は儒学が入る前からあり、しかし当たり前のように持っているので、自覚出来ない。
「災害時になぜ略奪しないのか」と訊かれても、わからないのと同じである。
儒学が入ってきて「儒学」という鏡があって初めて、日本人は自分の心の中の「仁」があることを気付けたのである。
だから、私もそうだが論語を読んで全てを受け入れている訳ではない。
「この部分は確かにそうだ。納得できる。」というところだけ、取り入れている。
儒学は所詮鏡なので「仁」の心を学ぶ良い教材ではあるが、鵜呑みにする教典ではないのである。

では、なぜ支那には儒学が生まれたのか。
孔子、孟子の頃は諸子百家の時代であり、支那では様々な思想が存在していたうちの儒学は一つに過ぎない。
孔子や孟子は自分以外の思想が近くに存在していたので、自分の思想を明らかにすることができたのである。
周りの人と自分の思想が同じだと自分の思想が理解しにくいが、周りの人と自分の思想が違えば、自分の思想がどのようなものか気付きやすくなるのである。

だから、孔子や孟子は日本に生まれず、支那に生まれたのである。

しかし、今日本では虐待や家庭内暴力、ストーカー、学級崩壊などが起こり、「仁」の心が少し廃れかかっていることがわかる。
だからこそ、今私は日本人の「仁」の心に気付けたのだと思う。

私の人生のテーマは日本人に「仁」の心を取り戻させ、その心を世界に普及させることである。