2017年6月29日木曜日

十七條憲法 第一条 相手を尊重しつつ議論することが大切

聖徳太子の定められた十七條憲法について書いていきます。

一に曰く、和(やわらぎ)を以て貴(たふと)しと為し、忤(さから)うこと無きを旨と為(せ)よ。人皆黨(たむら)有り、亦(また)達(さと)れる者少なし。是(ここ)を以て、或は君父に順(したが)わず、乍(また)隣里に違(たが)う。然れども、上(かみ)和(やわら)ぎ、下睦(むつ)びて、事を論ずるに諧(かな)わば、即ち事理(じり)自ずから通ず、何事か成らざらん。

最初の文については最後に述べます。
まず人は皆考えが近い者で集まり、その集団が複数できてしまう。また複雑な事を考える事ができ、世の中の真理に近づける者つまり賢者、哲学者はいつの世もとても少なく、ほとんどの人たちは、そこまでの知恵を持っていない。そうなるとどうなるか?集団同士で相争い、そして多くの人たちは、賢者の言うことを理解できず、やはり相争うことになってしまう。そうなると、天皇に臣民が従わず、父に子が従わず、村同士で争うような状況になってしまう。
しかし、天皇や父が優しくなり、臣下や子どもが仲良くしようとし、何事も話し合うことができれば、物事の真理が自然と通じるようになり、どんな事もうまくいくようになる。
(そして最初の文は同じ内容を繰り返しています。)
お互いに争わないようにすることが一番大切である。

というような意味です。

イギリスの議会制民主主義での議会のようなものを思い描いているように思えます。
イギリスでは国会で激しい議論をした後でも、与野党と仲良く会話することができると聞きます。
昔から、子どもの頃から、相手を尊重して議論するという習慣が出来上がっているのでしょう。
「相手を尊重するという前提の中で、議論する」
世の中の全てを論理で説明することはできません。
論理はあくまでも世の中を説明するための道具に過ぎないので、一部を説明することが可能なだけです。
だから、「相手を論破する」ことはあまり意味をなしません。
絶対的な論理を得ることはできないのです。
議論の中から、お互いに世の中の真理を垣間見るのがせいぜい出来ることです。
でも、それが大切なのです。

明治に帝国憲法ができ国会が始まってから現在まで、国会で意味のある議論、日本国をどのような良い国にするか、日本国民の正義とは何かという議論ができたことがあるのでしょうか。
今の国会を見ていても、与党と野党がただ敵対し、日本国としてどのような国にしたいのか、日本国民としての正義は何なのか、などは議論されません。
そのような複雑で高度で真摯な議論ができる国会議員も少なさそうです。
正に衆愚政治です。
聖徳太子の時代から、日本人は「相手を尊重しながら議論をする」ということがおそらく苦手だったのでしょう。
そして、議論の合わない相手を殺してしまう。
崇峻天皇が蘇我馬子に殺意を抱いたため、すぐに蘇我馬子が東漢直駒(やまとのあやのあたいのこま)を使って崇峻天皇を暗殺させ、すぐ東漢直駒を殺し、証拠隠滅をした。
意見の合わない人はすぐ殺し合って時代だった訳です。
聖徳太子は日本人が苦手なことを克服してこそ、良い国になると考えたのではないでしょうか。
今こそ、日本国に生まれた賢者は、思想や政治、法の分野に参加し、相手を尊重しながら一人ずつゆっくり議論する必要があると思います。

こういう話は、英米文化圏にしか通用しません。
ロシアや中国、朝鮮ではこのような話は永遠にできないと思います。
これらの国は強いか弱いかしかないからです。
「相手を尊重する」の意味もわからないでしょう。

殺し合わず、相手を尊重して議論する文化を作り上げましょう。
しかし、サヨク・リベラル思想の人とは議論ができません。
なぜなら、サヨク・リベラル思想の人は、「〜は〜である」という言葉に縛られ続け、物事を多角的に考えられないからです。
例えば、「戦争は悪である」と一度信じたら、自分や家族を守るために戦争をせざる得ない状況でさえ、それを否定し、自分が殺されても、自分の考えの間違いに気づきません。
サヨク・リベラル思想の人は議論できないからと言って、殺してはいけません。
しかし、サヨク・リベラル思想の人を権力のある地位から追い出さなければなりません。

議論できる保守勢力を強くしていきましょう。

2017年6月25日日曜日

帝国憲法制定の精神 六

金子堅太郎著
「帝国憲法制定の精神、欧米各国学者政治家の評論」
文部省、昭和10年8月発行
52ページからの引用です。

 以上は日本憲法制定の精神と欧米各国学者政治家の批評であります。それでこれを一言にして申せば、日本憲法は 明治天皇の遠大なる叡慮により国体に基づいて、海外諸国の憲法を斟酌し、その長を採り短を捨て、我が皇基を振起せよとの五ヶ条の御誓文を畏(かしこ)みて起草せられたものである。故に日本の歴史及び国体を知らずして日本の憲法を解釈線とすることはそもそも間違いである。従来日本の憲法学者のいろいろ著述した書冊を見ましても、日本の憲法がその歴史と国体とに鑑み、また欧米の憲法史及びその論理を研究して起草されたものであることを深く調べたものあるを見ることができない。ただ欧州の憲法学者または法律学者の理論を根拠として解釈するもののみ。この不磨の大典は日本の歴史を咀嚼し、かつその起草の沿革を熟知するに非ざれば、決して正当なる解釈をなすことはできないと思います。
 先年アメリカから取り寄せました。「モダーン・ヒストリー」(近世史)という書物を読みました。この本はコロンビア大学の教授で歴史の専門家であるヘイ、ムーンという両人が合著したものでありまして、つい五、六年前の事まで書いてあります。その中に非常に私に感動を与えたことがありました。その句に曰く、欧州大戦に於いて、彼の国威赫赫(かくかく)たるドイツ帝国は亡び、ロシアも亡び、オーストリアも亡び、三大帝国は亡びてしまった、今日ヨーロッパに残っている帝国は、イギリス、ベルギー、イタリア等の諸国を算するのみである、しかしこれらの諸国は帝国というのも名のみであって、その実は民衆主義が権力を持っておる、ここに目を転じて全世界を見れば、神聖不可侵皇帝の在すは、ただ独り日本帝国一カ国のみと。神聖不可侵皇帝はただ独り日本帝国あるのみと近世史を書いたヘイとムーンの二学者が言っておる。私は早速丸善に言い付けて五、六十部取り寄せるように言っておきましたから、諸君が彼の書店にお出でになったらありましょう。
 これを要するに日本は世界無比の帝国でありまた世界無比の憲法を有しておることは、我々大和民族の非常な名誉でありまた誇りである。しかるにこの名誉と誇りを損なうような憲法の解釈を弄することは、甚だ遺憾に耐えない。私は豈(あ)に徒らに弁を好む者ではないが、ただ憲法制定の残存者の一人として 明治天皇の偉大なる宏謨(こうぼ)を奉戴し、伊藤公がその卓見をもって起草せられたることを、諸君に説明する義務を尽くさんと欲するのみである。我々日本臣民は全力を尽くしてこの不磨の大典の憲法を擁護しなければなりませぬ。これが日本帝国の臣民として 明治天皇に対し奉る義務である。蓋し日本の憲法は 明治天皇の御代までは成文としてはなかったが、その精神その原理は、二千五百有余年間天日の如く炳乎(へいこ)として儼存(げんそん)しておった。それが一度 明治天皇の叡慮によって成典となって現るるや、世界の政治家、憲法学者が異口同音に賞賛の声を放ち、また立憲国の淵源(えんげん)たる英国の憲法学者は、日本の憲法以上の憲法は我々に於いて起草すること能わずと、賞賛嘆美の言葉を惜しまなかった。これ偏(ひとえ)に 明治天皇の御稜威(みいつ)の然らしむるところであると誠に感激に堪えざる次第である。よって何卒この光輝ある憲法、この世界無比の憲法が、少しもその尊厳を毀損することなく、益々その光彩を発揮せんことを、我々は日本臣民の義務として諸君と共に粉骨砕身して力を尽くしたいと思います。
 今日は炎暑の際長時間に亘り清聴を汚しまして誠に恐縮に存じます。終わりに臨んで今日私をして一場の演説をお与え下さった松田文部大臣閣下に対しても、厚く御礼を申し上げます。

(終わり)

 これは昭和十年七月の講演の内容です。その十年後に敗戦となり、 GHQと国内の共産主義者らによって不磨の大典の帝国憲法を改正させられました。この帝国憲法を守れなかったのは日本国民の責任でもあります。戦前も戦後も日本では憲法学者は頼りになりません。イギリスではなく、ドイツやフランスの大陸系の憲法学ばかり勉強しているから、わからなくなるのです。この金子賢太郎伯爵の講演録を読み、日本の歴史を学び直してから日本の憲法をどうすべきかを考えてもらいたいです。憲法のことは憲法学者や政治家に任せるのではなく、一般国民もそれなり勉強するべきと思います。その時にこの講演録が参考になれば幸いです。

帝国憲法制定の精神 五(下)

金子堅太郎著
「帝国憲法制定の精神、欧米各国学者政治家の評論」
文部省、昭和10年8月発行
46ページからの引用です。

 次にイギリスに渡りました。予(かつ)て懇意なるハーバート・スペンサーを直に訪(おとな)うて、一週間程前に送って置きました日本憲法について貴下の意見を聴きたいと申しましたところ、同人が大体または各条について縷々(るる)述べました批評は今ここには省略しまして、結論だけはこうであります。

 日本の憲法は日本の歴史と同一の精神及び性質を有するにあらざれば将来これを実施すすに当たり非常なる困難を生じ、遂に憲法政治の目的を達すること能わざるにいたらん。蓋(けだ)し日本の憲法は欧米諸国の憲法を翻訳し、直にこれを採用して外国と同一の結果を得んと欲するは誤解の甚だしきものなり。今この憲法を一読するに日本古来の歴史、習慣を本とし起草せられたるは、余の最も賞賛するところなり。
 次にオックスフォード大学の憲法講座を持つアンソン法学部長に面会しました。この人はドイツでも、フランスでも、米国でも、アンソンの憲法上の議論とあらば、皆耳を傾けて聞くと言われる程の憲法のオーソリティー(権威者)であります。この人には私は二回も会って彼の質問に答え、また私も意見を述べましたが、それを総括して申しますと。
 
 日本憲法の精神は主権者の大権は悉く 天皇にありて 天皇が万機を総攬し給うにあり。これ世人は日本憲法を評してドイツ主義を学びたりと言うといえども、英国憲法を遠く古(いにしえ)に溯(さかのぼ)って深く研究すれば、その精神もまた実にこの精神に他ならざるなり。これ世人が英国政治の実際にのみ注目して、英国憲法の歴史とその精神とを識別せざるに依るなり。 
  
 これを要するにアンソンの意見は日本の 天皇が大権を総攬遊ばされるのはイギリスで国王が中心に成って居らるる憲法の歴史と同じである。その点は日本もイギリスに似て居ると言うのであります。
 次は同じくオックスフォード大学の憲法学者ダイシーと面談しました。この人は、日本が財政についてドイツ流を採用したことを賞賛しました。
 曰く、
 
 日本憲法中、財政についてドイツ流を採用して、イギリス議会の財政監督権を採用せざるを見て、大に日本憲法の強固善良なるに敬服す。憲法第六十七条の如きは英国の例に倣(なら)わず、ドイツ皇帝が法律に依らず財務行政に依って数多の財政処分を為すことを得る例に倣い、財政案議決権を帝国議会より減殺し、永久経費を削除軽減することを得ざらしめ、以って国家に必要なる政務を処理継続することを得せしめたるは、日本の将来に大なる影響を及ぼすのみならず、憲法学の原理を確定するに至らん。これ英国の憲法より日本の憲法が一層優秀なるものとして余の感服するところなり。もし余をして新たに憲法を起草せしめんか、この日本帝国の憲法に依るの外なきなり。

 ダイシーは世界に雄名を轟かしたる憲法学者である。この人にしてもし新たに興る国より憲法を起草せよと頼まれても、伊藤公の起草せられたる憲法以外に筆を執ること能わずというのでありまして、日本憲法は非常な好評を博したのであります。
 次にオックスフォード大学の公法教授ゼイムス・ブライスに面談しました。この人は縷々グラッドストンの内閣に列したる人である。この人の意見書は長文でありますからその結論だけ申します。

 日本憲法は全体より評すれば、慎思熟慮を費やして起草したるものと言うべし。就中(なかんずく)その条章の簡約にして能く詳細の規定を避けたるは、起草者の深く注意せしところなるべし。殊に重大なる権力を 天皇の統治に帰し、陸海軍統帥の大権と共に国務上の大権を総攬し給い、英国の君主よりも多くの行政命令発布権を 天皇が有せらるることを明記したるは起草者の賢明なる識見なりと感服す。
 
 それから帰途再びアメリカに立ち寄りマサチューセッツ州の大審院院長ホームスに面会しました。この人はかつてハーバード大学にて法律学の講師時代に私に法律学を教えた先生である。この人の批評の要領を述ぶれば、

 憲法学の原理程各種の法律学に於いて不定にして且つ不強固なるものはあらざるなり。故に憲法学の位置を称して変遷の時代にありという。この見地より日本憲法を見れば、余が最も賞賛するところは日本古来の歴史、制度、習慣に基づき、しかしてこれを修飾するに欧米の憲法学の論理を適用したるにあり。蓋し欧米の憲法は欧米諸国には適当なるも欧米と歴史を異にする日本国には適応せざるなり。

 このホームスの意見の要点は憲法ほど原理の定まっていないものはない。また憲法は移り変わるものである。故に外国の憲法を翻訳してそのまま之を行うということは大間違いである。いずれの国にもその国固有の歴史習慣があるから、それを土台として憲法を作るのが当たり前である。そこを伊藤公が見破って起草されているから感心するというのであります。
 次にハーバード大学の憲法の講義を受け持っているサヤー教授に面会しました。この人は私が先年米国留学中彼の大学にて法律学を教わった先生であります。この人の評がありますが、長いから省略して結論だけ申します。

 日本憲法第六十七条の憲法上の大権に基づける既定の歳出とは即ち第十条の 天皇は行政各部の官制及び文武官の棒給、第十二条の 天皇は陸海軍の編制及び常備兵額を定むるという二項に関する歳出なり。元来 天皇の御趣旨はたとい憲法を制定して立憲政治を実施すると雖も、国防及び内外の政務については、政府は旧来の如く百年一日の如く継続して、専ら国家の存続を図るをもって第一の目的とすべきものなりというにあり。

 これを要するにサヤーの意見は文武官の棒給、陸海軍の常備兵額の如きものは、たとい議会が解散になろうとも、規定の歳出は前年度の予算を施行することを得る様に規定せられて、百年一日の如く国家の存続を完全ならしめられた。よって将来はこの主義により欧米の憲法の原則も変わってくるであろうとまで言うのである。
 私は帰朝の後、これらの事を詳しく伊藤公に報告致しましたところ、伊藤公も耳を傾けて聴いておられましたが、私の報告が終わりますと、伊藤公の言わるるには、我輩は君が出発してから帰って来るまで大磯の別荘で日夜どう言うようにヨーロッパ、アメリカの政治家や憲法学者が批評するであろうかと、内心ビクビクしておったが、今君から詳しい報告を聴いて安心した。ただに非難せぬばかりか賞賛の言葉を聴くに至っては実に悦ばしい。明日は早速上京して 陛下に拝謁を願い憲法起草の責任解除を奏請せんと言われました。しかして翌日は上京し、参内せられました。しかし責任解除の勅命があったかどうかは九重雲深くして私は存じませぬ。その後私も宮中に召され山縣総理大臣と共に御前に於いてヨーロッパ、アメリカの政治家、学者の意見即ちただ今申しました事を一時間ばかり上奏致しました。