2017年6月25日日曜日

帝国憲法制定の精神 五(下)

金子堅太郎著
「帝国憲法制定の精神、欧米各国学者政治家の評論」
文部省、昭和10年8月発行
46ページからの引用です。

 次にイギリスに渡りました。予(かつ)て懇意なるハーバート・スペンサーを直に訪(おとな)うて、一週間程前に送って置きました日本憲法について貴下の意見を聴きたいと申しましたところ、同人が大体または各条について縷々(るる)述べました批評は今ここには省略しまして、結論だけはこうであります。

 日本の憲法は日本の歴史と同一の精神及び性質を有するにあらざれば将来これを実施すすに当たり非常なる困難を生じ、遂に憲法政治の目的を達すること能わざるにいたらん。蓋(けだ)し日本の憲法は欧米諸国の憲法を翻訳し、直にこれを採用して外国と同一の結果を得んと欲するは誤解の甚だしきものなり。今この憲法を一読するに日本古来の歴史、習慣を本とし起草せられたるは、余の最も賞賛するところなり。
 次にオックスフォード大学の憲法講座を持つアンソン法学部長に面会しました。この人はドイツでも、フランスでも、米国でも、アンソンの憲法上の議論とあらば、皆耳を傾けて聞くと言われる程の憲法のオーソリティー(権威者)であります。この人には私は二回も会って彼の質問に答え、また私も意見を述べましたが、それを総括して申しますと。
 
 日本憲法の精神は主権者の大権は悉く 天皇にありて 天皇が万機を総攬し給うにあり。これ世人は日本憲法を評してドイツ主義を学びたりと言うといえども、英国憲法を遠く古(いにしえ)に溯(さかのぼ)って深く研究すれば、その精神もまた実にこの精神に他ならざるなり。これ世人が英国政治の実際にのみ注目して、英国憲法の歴史とその精神とを識別せざるに依るなり。 
  
 これを要するにアンソンの意見は日本の 天皇が大権を総攬遊ばされるのはイギリスで国王が中心に成って居らるる憲法の歴史と同じである。その点は日本もイギリスに似て居ると言うのであります。
 次は同じくオックスフォード大学の憲法学者ダイシーと面談しました。この人は、日本が財政についてドイツ流を採用したことを賞賛しました。
 曰く、
 
 日本憲法中、財政についてドイツ流を採用して、イギリス議会の財政監督権を採用せざるを見て、大に日本憲法の強固善良なるに敬服す。憲法第六十七条の如きは英国の例に倣(なら)わず、ドイツ皇帝が法律に依らず財務行政に依って数多の財政処分を為すことを得る例に倣い、財政案議決権を帝国議会より減殺し、永久経費を削除軽減することを得ざらしめ、以って国家に必要なる政務を処理継続することを得せしめたるは、日本の将来に大なる影響を及ぼすのみならず、憲法学の原理を確定するに至らん。これ英国の憲法より日本の憲法が一層優秀なるものとして余の感服するところなり。もし余をして新たに憲法を起草せしめんか、この日本帝国の憲法に依るの外なきなり。

 ダイシーは世界に雄名を轟かしたる憲法学者である。この人にしてもし新たに興る国より憲法を起草せよと頼まれても、伊藤公の起草せられたる憲法以外に筆を執ること能わずというのでありまして、日本憲法は非常な好評を博したのであります。
 次にオックスフォード大学の公法教授ゼイムス・ブライスに面談しました。この人は縷々グラッドストンの内閣に列したる人である。この人の意見書は長文でありますからその結論だけ申します。

 日本憲法は全体より評すれば、慎思熟慮を費やして起草したるものと言うべし。就中(なかんずく)その条章の簡約にして能く詳細の規定を避けたるは、起草者の深く注意せしところなるべし。殊に重大なる権力を 天皇の統治に帰し、陸海軍統帥の大権と共に国務上の大権を総攬し給い、英国の君主よりも多くの行政命令発布権を 天皇が有せらるることを明記したるは起草者の賢明なる識見なりと感服す。
 
 それから帰途再びアメリカに立ち寄りマサチューセッツ州の大審院院長ホームスに面会しました。この人はかつてハーバード大学にて法律学の講師時代に私に法律学を教えた先生である。この人の批評の要領を述ぶれば、

 憲法学の原理程各種の法律学に於いて不定にして且つ不強固なるものはあらざるなり。故に憲法学の位置を称して変遷の時代にありという。この見地より日本憲法を見れば、余が最も賞賛するところは日本古来の歴史、制度、習慣に基づき、しかしてこれを修飾するに欧米の憲法学の論理を適用したるにあり。蓋し欧米の憲法は欧米諸国には適当なるも欧米と歴史を異にする日本国には適応せざるなり。

 このホームスの意見の要点は憲法ほど原理の定まっていないものはない。また憲法は移り変わるものである。故に外国の憲法を翻訳してそのまま之を行うということは大間違いである。いずれの国にもその国固有の歴史習慣があるから、それを土台として憲法を作るのが当たり前である。そこを伊藤公が見破って起草されているから感心するというのであります。
 次にハーバード大学の憲法の講義を受け持っているサヤー教授に面会しました。この人は私が先年米国留学中彼の大学にて法律学を教わった先生であります。この人の評がありますが、長いから省略して結論だけ申します。

 日本憲法第六十七条の憲法上の大権に基づける既定の歳出とは即ち第十条の 天皇は行政各部の官制及び文武官の棒給、第十二条の 天皇は陸海軍の編制及び常備兵額を定むるという二項に関する歳出なり。元来 天皇の御趣旨はたとい憲法を制定して立憲政治を実施すると雖も、国防及び内外の政務については、政府は旧来の如く百年一日の如く継続して、専ら国家の存続を図るをもって第一の目的とすべきものなりというにあり。

 これを要するにサヤーの意見は文武官の棒給、陸海軍の常備兵額の如きものは、たとい議会が解散になろうとも、規定の歳出は前年度の予算を施行することを得る様に規定せられて、百年一日の如く国家の存続を完全ならしめられた。よって将来はこの主義により欧米の憲法の原則も変わってくるであろうとまで言うのである。
 私は帰朝の後、これらの事を詳しく伊藤公に報告致しましたところ、伊藤公も耳を傾けて聴いておられましたが、私の報告が終わりますと、伊藤公の言わるるには、我輩は君が出発してから帰って来るまで大磯の別荘で日夜どう言うようにヨーロッパ、アメリカの政治家や憲法学者が批評するであろうかと、内心ビクビクしておったが、今君から詳しい報告を聴いて安心した。ただに非難せぬばかりか賞賛の言葉を聴くに至っては実に悦ばしい。明日は早速上京して 陛下に拝謁を願い憲法起草の責任解除を奏請せんと言われました。しかして翌日は上京し、参内せられました。しかし責任解除の勅命があったかどうかは九重雲深くして私は存じませぬ。その後私も宮中に召され山縣総理大臣と共に御前に於いてヨーロッパ、アメリカの政治家、学者の意見即ちただ今申しました事を一時間ばかり上奏致しました。

0 件のコメント:

コメントを投稿