2017年6月25日日曜日

帝国憲法制定の精神 六

金子堅太郎著
「帝国憲法制定の精神、欧米各国学者政治家の評論」
文部省、昭和10年8月発行
52ページからの引用です。

 以上は日本憲法制定の精神と欧米各国学者政治家の批評であります。それでこれを一言にして申せば、日本憲法は 明治天皇の遠大なる叡慮により国体に基づいて、海外諸国の憲法を斟酌し、その長を採り短を捨て、我が皇基を振起せよとの五ヶ条の御誓文を畏(かしこ)みて起草せられたものである。故に日本の歴史及び国体を知らずして日本の憲法を解釈線とすることはそもそも間違いである。従来日本の憲法学者のいろいろ著述した書冊を見ましても、日本の憲法がその歴史と国体とに鑑み、また欧米の憲法史及びその論理を研究して起草されたものであることを深く調べたものあるを見ることができない。ただ欧州の憲法学者または法律学者の理論を根拠として解釈するもののみ。この不磨の大典は日本の歴史を咀嚼し、かつその起草の沿革を熟知するに非ざれば、決して正当なる解釈をなすことはできないと思います。
 先年アメリカから取り寄せました。「モダーン・ヒストリー」(近世史)という書物を読みました。この本はコロンビア大学の教授で歴史の専門家であるヘイ、ムーンという両人が合著したものでありまして、つい五、六年前の事まで書いてあります。その中に非常に私に感動を与えたことがありました。その句に曰く、欧州大戦に於いて、彼の国威赫赫(かくかく)たるドイツ帝国は亡び、ロシアも亡び、オーストリアも亡び、三大帝国は亡びてしまった、今日ヨーロッパに残っている帝国は、イギリス、ベルギー、イタリア等の諸国を算するのみである、しかしこれらの諸国は帝国というのも名のみであって、その実は民衆主義が権力を持っておる、ここに目を転じて全世界を見れば、神聖不可侵皇帝の在すは、ただ独り日本帝国一カ国のみと。神聖不可侵皇帝はただ独り日本帝国あるのみと近世史を書いたヘイとムーンの二学者が言っておる。私は早速丸善に言い付けて五、六十部取り寄せるように言っておきましたから、諸君が彼の書店にお出でになったらありましょう。
 これを要するに日本は世界無比の帝国でありまた世界無比の憲法を有しておることは、我々大和民族の非常な名誉でありまた誇りである。しかるにこの名誉と誇りを損なうような憲法の解釈を弄することは、甚だ遺憾に耐えない。私は豈(あ)に徒らに弁を好む者ではないが、ただ憲法制定の残存者の一人として 明治天皇の偉大なる宏謨(こうぼ)を奉戴し、伊藤公がその卓見をもって起草せられたることを、諸君に説明する義務を尽くさんと欲するのみである。我々日本臣民は全力を尽くしてこの不磨の大典の憲法を擁護しなければなりませぬ。これが日本帝国の臣民として 明治天皇に対し奉る義務である。蓋し日本の憲法は 明治天皇の御代までは成文としてはなかったが、その精神その原理は、二千五百有余年間天日の如く炳乎(へいこ)として儼存(げんそん)しておった。それが一度 明治天皇の叡慮によって成典となって現るるや、世界の政治家、憲法学者が異口同音に賞賛の声を放ち、また立憲国の淵源(えんげん)たる英国の憲法学者は、日本の憲法以上の憲法は我々に於いて起草すること能わずと、賞賛嘆美の言葉を惜しまなかった。これ偏(ひとえ)に 明治天皇の御稜威(みいつ)の然らしむるところであると誠に感激に堪えざる次第である。よって何卒この光輝ある憲法、この世界無比の憲法が、少しもその尊厳を毀損することなく、益々その光彩を発揮せんことを、我々は日本臣民の義務として諸君と共に粉骨砕身して力を尽くしたいと思います。
 今日は炎暑の際長時間に亘り清聴を汚しまして誠に恐縮に存じます。終わりに臨んで今日私をして一場の演説をお与え下さった松田文部大臣閣下に対しても、厚く御礼を申し上げます。

(終わり)

 これは昭和十年七月の講演の内容です。その十年後に敗戦となり、 GHQと国内の共産主義者らによって不磨の大典の帝国憲法を改正させられました。この帝国憲法を守れなかったのは日本国民の責任でもあります。戦前も戦後も日本では憲法学者は頼りになりません。イギリスではなく、ドイツやフランスの大陸系の憲法学ばかり勉強しているから、わからなくなるのです。この金子賢太郎伯爵の講演録を読み、日本の歴史を学び直してから日本の憲法をどうすべきかを考えてもらいたいです。憲法のことは憲法学者や政治家に任せるのではなく、一般国民もそれなり勉強するべきと思います。その時にこの講演録が参考になれば幸いです。

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