2017年5月7日日曜日

帝国憲法制定の精神 五(上)

金子堅太郎著
「帝国憲法制定の精神、欧米各国学者政治家の評論」
文部省、昭和10年8月発行
42ページからの引用です。

 明治二十二年二月十一日の紀元節に憲法発布がありました。さて憲法できたが議会は如何にして開くかにつき政府はいろいろの準備をしなければならぬ。よって私は欧米各国
の議会の内部の組織及び憲法運用の模様を視察するの必要を建議し、政府はこれを認め
、六月十一日私に欧米派遣の命がありました。よって中橋徳五郎、太田峰三郎、水上浩躬、木内重四郎の四人を随行とし欧米諸国を巡回した。私が出発する以前に伊藤公の言悪るには憲法は我輩が 明治天皇の叡旨を奉じ、君ら三人の他には誰にも相談しないで起草したために、世人は、伊藤がビスマルクの政策に倣い、ドイツの憲法を真似て書いたと言って攻撃したが、決してそうではない、それで君が欧米諸国に行ったならば、彼の国の政治家、憲法学者より忌憚なき批評を聴いて来て貰いたいと言われた。よって私は枢密院において英文に反訳した憲法を携えて渡航しました。
 まず第一にアメリカに渡りまして彼の国の国務長官ゼイムス・ブレーンに面会しました。この人は学者でまた政治家である。アメリカの国務長官の職務として合衆国憲法の解釈及び各州創立の際に於ける州の憲法許可権を有する重要な地位にある人であります。この人に面会致しました時ブレーン曰く、
 「私は日本政府から憲法の英訳したものを受け取ったが、実は多忙にしてまだ読んでいない、聞くところよれば貴下は起草者の一人であるからまず愚見を述べて後にお尋ねしたいことがある。もし今日私が憲法を起草するならばこう言う方針で書きたいと思う。それは自分が四十年間合衆国憲法を研究しまた国務長官として新設州の憲法を許否したる実験によって、こう言う方針を以って憲法は起草すべきものと信ずる。
 第一、憲法は一国政治の基本なるが故に、政治に必要なる大体の原則を掲載し、その細目の如きは悉くこれを省略して普通の法律又はその他の規則に譲るべきものとす。しかるにこの点については英国を初め欧州各国皆誤りてり。何となれば彼の諸国の憲法を制定したるは、全く国家革命の機運に際会し、あるいは人民の強迫によりたればなり。故に原則と細目とを識別せず悉くこれを憲法に掲載したり。
 第二、君主の大権については英国の先例に依らざることに努むべし。英国は大権君主に存せず、彼の国に於いてはこれを最も良法なりと思考するが如し。然れども他国に於いてはその歴史も英国と同一ならざる以上は、これに依るべきものに非ざるなり。
 第三、大臣の責任は英国の慣例に依り発達し来たり、各国皆その流儀に随えり。然れども大臣にして一度君主より任命せられたる以上はその責任は全く君主に対する責任にして、議会に於いて敢えて進退すべきものに非ざるなり。殊に日本の如きは三千年来の君主国なれば大臣の責任は 天皇に対してのみあるものにして、議会の対して有せざることを制定したきものなり。現にアメリカの大統領及び大臣は、国民一般に対して責任を有するも議会に対しては直接に責任を有せざるなり。」
 こう言う方針で私は憲法を書きたいと思うが、貴下は憲法を起草したというが、どういう風に起草せられたかと尋ねられました。依って私は丁度貴官の御意見の通りに伊藤公は起草せられた、我々はそれを手伝った、と申しますと、彼は膝を叩いて、それだけが日本憲法にあれば実はあとはどうでも良い位のものだと言って非常に喜んだ。これがアメリカ第一流の政治家の意見でありました。
 それからフランスに渡って、ルボンという人に会いました。この人はパリの大学で憲法の講座を受け持ち、また上院議長の秘書官でありました。後に農商務大臣になった人であります。この人とは度々会って懇談も致しました。また長文の意見を書いて私に送ってくれました。しかしその意見を述べますれば長くなりますからここでは本人の批評の結論だけ申すことに致します。
 「帝国憲法第十二条に 天皇は陸海軍の編制及び常備兵額を定む、第五十五条に国務各大臣は 天皇を輔弼しその責に任ずとある点その他予算についても多少の意見もないことはないが、憲法全般を通じて評論すれば前記の二ケ条を初めとし何も精巧なる編成である。」
と言ったのが、この人の結論でありました。

0 件のコメント:

コメントを投稿