陰謀と陰謀論の違いについて述べる。
陰謀は証拠を残さない。証拠を残していたら、それは既に陰謀ではない。
証拠がないからそれは「陰謀論だ」と言う。
つまりどちらも「証拠がない」と言うことで一致している。
つまり「証拠を残さずに悪巧みができる」と考える人は陰謀を信じる。しかし、証拠は得てして状況証拠しかなかったり、逆に一部はあからさまに公開されていて、あまりにも堂々とし過ぎていると、陰謀と思われなかったりする。
「証拠を残さずに悪巧みすることなどできない」と考える人は、陰謀を信じることができず、架空の陰謀つまり陰謀論だと判断してしまう。
残念ながら、私は世界規模の陰謀は存在していると考えている。私だって陰謀がないことを信じたい。しかし、世界や日本の状況から様々な人が指摘している陰謀は実在するとの結論を出さざるを得ない。
「ルーズベルト大統領は事前に日本軍の真珠湾攻撃のことを知っていた。」これだけでも十分に陰謀である。そのことをアメリカ国民に知られたら、ルーズベルト大統領は嘘つきと怒られてしまう。だから、ひた隠しに隠していたが、アメリカ軍は日本軍の暗号を既に解読していた。主要な艦船はなぜか真珠湾から退避していた。そのような状況証拠から、十分に陰謀が推測される。ルーズベルト大統領は「絶対戦争には巻き込まない」と国民に約束して、大統領に当選した。だから、ショックドクトリンを利用しなければ、戦争にアメリカを巻き込めない。人が愚かだから戦争が無くならないんじゃない。戦争で得をする人たちがいるから、戦争が起こされるのである。そう考えると戦争が無くならない理由が良くわかる。戦争は一部の人たちにとって美味しいものである。武器で大儲けができる。戦争に参加する国の国民が税金を通して大盤振る舞いで払ってくれる。敗戦国の弱みに付け込んで、敗戦国にうまく入り込めが、敗戦国から利益を収奪することができる。だから、戦争は止められない。
旧約聖書の中のエステル記をぜひ読んでほしい。そこでは、国の乗っ取り方が載っている。読み様によっては、モルデカイによる民族を守るための策謀であるが、それであれば自分たちの民族を殺そうとした政治家を引きづり下ろすだけで十分である。その民族はそれだけに止まらなかった。陰謀で国王を意のままに操り、実質裏で国を乗っ取ってしまった話である。
いまだにモルデカイのような陰謀を行う輩が地球に存在していてもおかしくない。
日本人は基本卑怯なことが嫌いである。だから、あまり陰謀を好まない。だから、陰謀を企む人たちの気持ちが理解しにくい。だから、陰謀に気付けず、騙されやすい。
引き続き陰謀の仕組み、対策について考察していきたい。