2017年4月30日日曜日

帝国憲法制定の精神 三(下)

金子堅太郎著
「帝国憲法制定の精神、欧米各国学者政治家の評論」
文部省、昭和10年8月発行
27ページからの引用です。

 次にイギリスの憲法を調べんとするには、諸君ご承知の通りイギリスには成文としての憲法はない。English Constitutionという成典はない。イギリス人ハラムという人が書いたConstitutional History of Englandという「憲法的英国歴史」はある。イギリスの憲法は始祖のウィリアム・ザ・コンクェラー以後の歴史の中に散在している。しかして歴史の発達と共に憲法も発達している。イギリスはドイツはフランスのように憲法という成典がある訳ではない。そこで我々は非常に苦しんでイギリスの憲法的歴史を調べて、その中から憲法と言うべきものを書き抜いた次第である。有名な憲法は「マグナ・カーター」(大憲章)という。これはジョン王が非常に圧制したがために貴族が奮起した。当時は労働者や百姓や商人はあったけれども未だ政治上に勢力がなく、ただその勢力を有しておったものは貴族であった。貴族は土地を持っているしまた財産を持っているから従って勢力があった。これらの貴族がラネミードという野原にジョン王を呼び出して、かかる暴政を行われては我々英国民が困る、よってこれから国王の施政の方針はこの「マグナ・カーター」によるべしと誓われたい、と言ってこれを突き付けてジョン王の調印を求めた。王は弱いからついにこれに調印した。この「マグナ・カーター」がイギリス憲法の骨子と言わるるもので、これが憲法の始めである。それから段々政治が発達してきたのである。しかるにその後チャールス一世が暴政を行った。今度は貴族と国民が国王を引っ張り出してきてついに殺戮した。この時も多くは貴族が牛耳を執った。人民も参加したが、貴族が主動者であった。
 そこで今度はクロムウェルという野心家で、そうして偉い人がコモンウェルス即ち「共和政府」を創設した。これは僅かに十一年続いたが、彼の死後共和政府は倒れ再び王政の復古を見た。そうしてチャールス二世を迎えてキング即ち国王にした。この十一年間のクロムウェルの共和政府の時代をイギリスの歴史には共和政府と書いてあるけれども、正当にはインター・レグナムという。インター・レグナムという文字はラテン語で「帝政と帝政の間の時期」ということである。これ即ちイギリスは古来国王が中心となって政治をする主義の国であるから、十一年間共和政治を行ったことは英国の歴史を傷つけるから、それで「帝政と帝政の間の時期」即ちインター・レグナムという文字をもってこれを避けている次第である。とにかくイギリスは君民共治の国であってフランスのように主権民にありとする国ではない。またドイツのように諸王国の君主の連邦政治でもない。イギリスはその点だけは一貫している。そこでイギリスの憲法を調べてみるとKing in Parliament(議会における国王)Lord in Parliament(議会における貴族)Commons in Parliament(議会における人民)というように国王と貴族と人民との三種族が議会に集って英国の政治をするという君民共治がイギリスの主義である。これを称してFundamental Political Principle of England(英国の基礎的政治の原則)という。この三種族の中の一つを欠けば基礎的政治の原則が破壊さるることになる。かの千八百四十八年のフランスの革命の猖獗なるときに、イギリスでも国論が沸騰して共和政治に変更せんとした。その時にかの有名なる下院の議員エドマンド・バークが、もし共和政府にすればイギリスの基礎的政治の原則が破壊せらるるから、そういう事は断然排斥しなければいかぬと絶叫した。それ故にフランス革命の余波が遂にイギリスに侵入しなかった。これを要するにイギリスの基礎的政治の原則は、国王、貴族、人民の三種族が共同して英国を治める主義であるからである。
 それで我々が以上三ヶ国の憲法について考えて見た時、フランスは無論日本に適用ができない。ドイツもまたその精神が日本に適用できない。しかしてイギリスの基礎的政治の原則は国王と貴族と人民が政治を共治するにあるからこれもまた採用することはできない。しかしイギリスの基礎的政治の原則という文字はこれを日本語に当てはめてみると、日本の国体という文字にやや似たところがある。しかるに日本の国体という文字はこれをイギリスにもフランスにもドイツにも見出すことはできない。何となれば日本の国体という文字は日本特殊の政治語であるからである。かつて私は欧米の碩儒にも会ってこの問題につき談論したこともあるが外国人には国体という文字の真髄は分からない。何となれば二千五百年以上も万世一系の 天皇が連綿として君臨せらるる国は世界広しといえどもどこにもない。従って欧米の政治学者、憲法学者の頭には国体という文字の分かるはずがない。ただ一人これに似寄った文字は前に述べた仏国革命のおりエドモンド・バークが絶叫して、革命の害毒を防いだ時の言葉即ち英国の基礎的政治の原則という文字が、やや日本の国体という言葉に近いと思わるるくらいである。

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