2014年2月12日水曜日

日本バドリオ事件顛末(第一回)

近衛上奏文がどのような過程で出されたかの貴重な記録です。
真崎甚三郎グループが近衛文麿を使って天皇に日本の真の危機を伝え、東条内閣を倒すための活動です。
長いですが、ぜひお読み下さい。


文藝春秋 第27巻第12号 昭和24年12月号 42ページより
まだ日本がアメリカに占領されていた時期の記事である。

日本バドリオ事件顛末                 法務総裁 殖田俊吉

 東條内閣を一挙に打倒して和平政権をつくらんとして、憲兵隊に検挙された、当時の「日本バドリオ事件」の真相が明らかにされた。本編は近衛文麿、吉田茂、真崎甚三郎、小畑敏四郎、岩淵辰雄等の諸氏を同志として暗躍した現法務総裁、殖田俊吉氏の回想録である。

 第一部 昭和軍閥に対する私の見解

 私は、田中内閣の時大蔵書記官で総理大臣秘書官を兼任していたが、昭和3年5月張作霖爆死事件というものが起こった。これは日本の関東軍の陰謀・・・大きく言えば日本陸軍の陰謀であった。しかるに陸軍はこれに対して何等責任を負わないのみならず、あたかも責任が田中大将にあるかのごとくに盛んに宣伝して、とうとう田中内閣を潰しておわった。その時のやり方が実に陰険であったので、私は陸軍というものを信用しないのみならず、これを唾棄し批判するに至った。日本の陸軍が真に日本の国防を託するに足るものであるや否や、非常に疑惑をもって見るようになったのである。
 その後昭和6年3月には三月事件というものがあった。これは未発に終わったけれども、やはり陸軍の陰謀である、これを陸軍はひた隠しに隠していたが、やがて我々の耳にも入って来た。続いて満洲事変、十月革命、いわゆる錦旗革命事件、陰謀の続発だ。更にこれは直接陸軍の計画ではなかったかも知れないが、血盟団とか、或は五一五事件、神兵隊事件、みんな陸軍と関係の深い連中がやった仕業だ。二二六は多少類を異にするものではあるが、やはり陸軍の陰謀だ。また小さい事件では、昭和10年夏の真崎追い出し事件や士官学校事件があった。永田鉄山事件は陰謀ではないが、その一連の中に入って来る。これらを仔細に研究してゆけばゆくほど、陸軍の性格がはなはだ信用すべからざるものであることが看取されるのである。
 私はこの陸軍の性格にかんして、日華事変が現れる以前に、一応の結論を得ておった。そうして早晩中国において事を起こすであろうと想像している時、果たして日華事変が発生した。これも決して突如として起こったものではない。既に私どもの頭の中に想定されていたことであって、かねて抱いていた陸軍に対する批判の結論が、この日華事変によって実証されたようなものである。

 陸軍にはかねてから政治を自分の手に掌握したいという考えが潜んでいた。陸軍が政権を掌握するためには非常事態の発生を必要とする。何かのチャンスで非常事態を惹起して、それによって政権を握ることが出来たなら、今度はその政権を維持するため、次の非常事態を必要とする。政権を継続せしめるために更に新たな非常事態を必要とする。かくのごとくにして、非常時は益々拡大し延長される結果となる。
 一番初めの張作霖事件からして、その意味をもって行われたものだと思われる。張作霖事件なるものは、満洲事変の伏線ではなくて、満洲事変の予行演習であった。もしあの事件が計画通りに進行しておったならば、当然満洲事変になるべかりしものである。それを中途で不発に終わらしめたのは、全く田中義一さんの力であった。もし田中さんが圧力を加えて軍を抑えなかったならば、あの時あれが即ち満洲事変に発展したものと考えてよろしい。
 それでは張作霖事件でも、また満洲事変でも、単なる陸軍の帝国主義の発露であるかというと、さように見えて実はそうではない。陸軍は古くからいわゆる大陸政策なるものを持っている。これは陸軍の北進政策、即ち満蒙に発展し、日本海を本当に日本の領土をもって囲まれた海にしよう、こういう考え方が昔からあるので、張作霖事件などは、その実行であるかの如く見えるけれども、これを仔細に検討すれば、決してそうではない。
 第一次世界大戦後、日本も世界的な風潮に感染して、陸軍というものが非常に社会主義的になった。いわゆる社会革命というようなものに、非常に興味を持つに至った。この社会主義的社会革命を革新政策という名で呼んでいた。陸軍の中には色々な種類と色々な段階とがある、ごく通常の形は国家社会主義である、それほどに至らない人は復古主義である、しかし更に進んだ人は遥かに左傾しておった。そこで社会革命いわゆる革新政策を自分たちの手によって実行して行く、それを実行するためには自分たちが政治力を持たなければならない。その政治力を獲得するためには即ち非常時が必要になって来る。これを人為的に作ろうとしたのが三月事件、これは直接政権を獲得しようとしたのだが、直接でなく間接な形でやろうとしたのが満洲事変、これと表裏をなすものが即ち十月革命、すなわち錦旗革命事件であろう。
 三月事件に関連して、宇垣さんの了解或は黙契があったとか無かったとか色々な見方もあるが、とにかくあの時に擬音爆弾三百個を陸軍から大日本正義団に渡した事実がある。これは陸軍大臣のサインがなければ渡せないもので、その時の陸軍大臣は宇垣さんである。しかしこっちの品物をあってへ動かすというような事は大臣がそんなに詳しく知らないでも、「大臣、これにサインして下さい」とい言われれば「うんそうか」とサインするのが常識である。だからそれにサインされたからといって、あの計画に参加していたかどうかはわかるものではない。宇垣さんは、自分はそうでなかったと弁明をしているのだ。とにかくあの計画を実行しないで中止された。それは主として小畑敏四郎大佐、真崎甚三郎中将の反対があったためだ。宇垣さんは計画の内容をご存知かどうか知らぬがこれを実行を中止するのに不賛成な道理はあるまい。しかるにその結果は如何なるわけか宇垣自らこの計画を裏切ったんだという印象を若い統制派の連中に与えたもののごとく、彼等はそれならば今後宇垣内閣の成立を妨害するという考えになったというのだ。この辺の経緯は相当複雑に考えなければならぬ。世間では宇垣内閣の妨害は軍縮問題が原因だと想像しておるが、しかしそれは実際に即しておらぬ。三月事件を裏切ったから宇垣内閣を妨害するといったのでは世間が承知しない。第一、三月事件はうやむやにしてしまったのだから、世間にわかりやすい軍縮問題を理由にしたのである。そこに陸軍の連中のいかにも奸知に長けた所を見るのである。

続く


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