2014年6月15日日曜日

非常時局読本(第八回)「日本国体の本質と天皇機関説の誤謬」

今回は国体と天皇機関説についてです。

非常時局読本 海軍少将 真崎勝次著
慶文社 昭和14年3月15日発行

39ページより

八、日本国体の本質と天皇機関説の誤謬

 我が国に於ける各種不祥事の原因をなした彼の天皇機関説の起こりも、その元を正せばいわゆる国体と国家とを分けて考えるところから起こって来る。我が国は君民一体でなければならない、これは三大神勅にもはっきりしておって、第一 天皇陛下のご先祖は天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)であってそれからイザナギ、イザナミの尊(みこと)が天沼矛(あめのぬぼこ)をもって修理固成して宇宙や地球をお造りになった。そしてその宇宙が生成化育して行く所の原理そのものをもって発展して行くのが日本の指導原理であり、理想であり信念である。だから第一神勅に於いては「豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいおあき)の瑞穂の国は我が子孫の君たるべき地なり爾皇孫(いましすめみま)就(ゆ)きて治(し)らせよ、行け、宝祚(あまつひつぎ)の隆んなること天壌(あめつち)と窮りなかるべし」こういう風に仰せられている。それから第二神勅でいわゆる宝鏡(みかがみ)をお授けになって「この宝鏡を視ること当に我を視るが如くせよ」と仰せになって始終神の心を以て心とせよと仰せられた。それから尚「この稲穂を以て我が国民を育み育てて行け」こういう風に仰せられた。第三神勅で更に神籬(ひもろぎ)磐境(いわさか)君民一体の理を御示しなさっている。ところが第一神勅の方は小学校の教科書にもあるので大体日本人は皆承知しているが、この第二、第三の神勅の意義は明を知っている者が少ない、つまり第一神勅の元をなしているところの、本当の日本精神の基調に触れているところの第二、第三神勅がどういうものかそれを説明していない。だから国体は知っていると言いながら、神代の神話等を本当に理解しようとしない、またよく理解させようとしないために漸次に外国と同様の物の見方で我が国の歴史をも国体をも解決しようとする、そして君と民と国家を分けて考えるような不逞な思想に陥るのである。大体 神武天皇以前を神代とする事自体が国体の本義を明にする事こそ、日本精神を理解する基礎である。
 神代を明瞭にしないから日本建国の理想をこれは日本人のみに都合良く説明するのだくらいに考えて、天地の発育成長の自然の原理そのものを、即ち生成化育の原理をそのまま指導原理とし、信念として実行して来たのが日本の国体であるから、それ以上の正しい指導真理は何処から考えてもあり得ないという事を考えず、また従って信じもしないから君民分離して考える思想に堕するのである。
 即ち 陛下の御先祖がこの土地を固めて国をお造りになり、そうして山川草木に至るまでをお造りになり、そこで日本の君と国と臣民は離れられないので一体である、これが即ち日本の国体の本質であるのに、それを西洋の思想にやたらに囚われてしまって、国家と君とを分けて考えて、国家の上に帽子を被せたようなものが、 天皇陛下であるというような事で天皇機関説が起こって来るのである、分けられないものを分けるという観念になることが天皇機関説のそもそもの元である。これは更に後段で述べるが、今次の戦争の一番の大きな間接の原因にもなっているのであって、これはいわゆる自由主義がもたらした弊害の一番大きなものである。天皇と国民と国家とを分けて考えるのは丁度家庭というものを親を引き離して子どものみの家庭と考えるような観念を持つと同じであって、そこに根本の錯誤がある、家庭は親があって初めて出来る、親があって子どもが出来、その子どもがまた親になる、親が現在亡くなって親のない家庭はあっても、親がなくて出来た家庭というものはない、それが日本の家族精神である、日本の国体の本である、それを別々に離して考えるということが国体破壊の根元である。外国殊にロシアの例をいうと一番良く分かるが、ロシアは始め国土がある、そうしてロシア民族があってそれを治める者がないのでノルマン民族のルーリックという者を連れて来てロシアを治めて貰いたいと頼んだ、それだから統治者が会社の社長のような機関というようになる訳である。しかるに日本は御皇室の御先祖が国土を固め、臣民を造り、樹木が繁茂して宇宙の発展と一体となって栄えて来るのだから、日本は君臣と国土とが分けられないものになっている。それを分けて考えようとするところに誤りがある、だから皆さんには釈迦に説法のような点もあるが、機関説はそこのところを巧みに誤摩化しているからその点を充分注意する必要がある。外国流の国民あっての主権者なり、国家あっての統治者なりと別々に考えようとしている。そうして、この解釈の型に嵌めて日本の国体までも外国流に漸次になし崩して行こうとするところに根本の罪悪があるのである。しかしていわゆる天皇機関説というものは私どもの中尉位の時分に、確か明治四十三年頃と記憶するが、ぼつぼつ台頭して来た、当時私どもは憲法や法律の頭もなかったのであるが、天皇は我々の親であり現神であると思い、何時でも大君のためには一身を投げうとうという覚悟を持っているのに、天皇を機関だの会社の社長などというならば、また取り替えてもよい事になるのではないか、というように考えて、実にけしからぬと青年の純情から当時の帝大の学生などと議論を戦わしてそんな馬鹿なことがあってたまるかと大いにやったものであったが、しかし純真なる胸奥からほとばしり出る信念というものは中間の論議を抜きにして、これを今日考えてみてもやはりそれは正しいのである。その時分にこの説の間違っている事を明瞭にして、二葉の中に刈り取っていたならば、日本のために如何に幸福なしめか、おそらく今次の戦争もまた数次の不祥事も起こらなかったであろうと思考する。
 元来憲法は国家の大典であって、陛下の御地位にまで言及し 天皇の大権を執行なさる形式を定めているのだから、その解釈を忽せ(ゆるがせ)にするということは非常に重大な問題である。それを疎かにするような気分になったことはいわゆるご都合主義の自由主義に日本人が囚われておったからである。直接自分の利害にさえ関係なければ時勢に従うのが利巧だとする、花より団子主義の実利主義に捉われて大義の重きを忘れた結果である。かかる大事な事をその後三十年以上も放擲(ほうてき)して置いたところに大いなる誤りがある、それだから彼等も段々増長し国民も段々と騙されて、遂には天皇と議会とを対立さして来たり、また統帥権もいわゆる統治権の一部であり特別に考える必要なきが如くに説き、 天皇の御勅語をも批判してよいというような論議まで出て来るようになったのである。それが国民の思想を撹乱し、またそれを本当だと思う者が大分増えて来たために、軍隊の中にもこの思想が入って来て、それをいけないと思う者と、それを本当だと思う者と現れて来て、一層世の中が混んがらかって来たのである。それが遂に彼のワシントン会議ともなったのである。そして第一次ロンドン会議においてはいわゆる統帥権干犯等の大問題を惹起して、軍隊の中がいよいよごたつき出して各種の国内における不祥事の原因をなして、層一層世の中を混乱に陥れいわゆる超非常時の原因を造り、今度のような大戦争となり 神武天皇創業以来の大事となった次第である。かくの如く考えれば考えるほどこの天皇機関説というものが日本の不祥事の総ての原因となり、また今次大事変の根本の原因を成しているのである。しかるに斯くの如き重大事を歴代の政府もやはりご都合主義でこれを放擲して置いて、臭いものに蓋をしつつ便宜主義に堕し、事なかれ主義で世を渡り「そんな学説等は学者に委せて置け」とこういうような出鱈目を言っていたのであるから、大義は段々と乱れて来て遂に未曾有の非常時となった訳である。

続く

国体問題が大東亜戦争の根本の問題の始まりとは驚きですね。

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