2014年6月7日土曜日

非常時局読本(第七回)「日本国体と欧米国家との相違」

では、「日本国体」とは何でしょうか。

非常時局読本 海軍少将 真崎勝次著
慶文社 昭和14年3月15日発行

28ページより

七、日本国体と欧米国家との相違

 日本人にして国体は分かっていると言いながら本当に分かっていない者がたくさんあるのである。その錯誤の根本は我が皇国ということと外国の国家との区別がはっきり頭に入っていないためである。日本人にして全く国体を忘れ国体を軽蔑している者は私は一人もいないと思う、けれども御皇室を考え、国体を考えるときの頭と、国家を考える時の頭とは、観念上別々のものになってこれを一体として不可分的に考えていないのである。即ち観念上国体を考える時と国家を考える時と、二つ頭を持っている、二頭の人間である。ここに各種の錯覚が起こるのであって自分は国体を知っているつもりであるけれども、本当の国体精神を、官吏としても軍人としても、臣民としても現していない者がある。つまり我が国においていう国家即ち皇国という言葉の意義と外国の国家という言葉の意義とを混同しているのである。そこに現在の日本のこんがらがっている根本の原因があるのである。またファッショに惚れ込んだ理由もここにある訳である。実は私どもも大正九年頃にはいわゆるファッショというものは愛国主義であって非常に良いものだ、そして国家社会主義というものは、日本を救う指導原理であるかの如く考えた時代もあった。それはなぜかというといわゆる国体そのものが日本国家である。君民一体で君と民と国とが離れ得ざる所のものが日本の皇国の真の姿であるということに関する適確なる認識がないために、単に愛国主義と言われる国体なき国に対する権力至上主義、政権至上主義の愛国主義と、我が国の忠君愛国主義即ち義は君臣、情は父子、君民一体不可分の日本精神とを一緒にしてしまっている、そのために愛国主義ならよいではないかと思ってしまっている点があるのである。元々ファッショは国家主義、愛国主義で来たものでいわゆるインターナショナル、即ち最も危険なる国際共産主義に対抗して起こって来たものだからそれは良いものだと考えた。そこにファッショに惚れ込んだ一つの原因があるのである。
 更にこれを歴史的にくわしく言って見ると、ロシアの革命の時分にはロシアはいわゆるインターナショナル、国際共産主義というものを指導原理として、そうして世界革命を企て、まずロシアを転覆したのである。初めは西ヨーロッパを一挙に転覆して共産革命をやってしまおうというので、武力と併行していわゆるインターナショナリズムを大いに宣伝したのである。しかるにそれが失敗した。そこでその次に狙いをつけたのが支那である。支那においては列国の利害関係が一番輻湊している、ここに火を付けて混んがらかせるとその飛び火が列国に行く、そうしてしかも仕事がやりやすく成功しやすいと考えた。つまり共産主義の宣伝等は無智蒙昧の人ほどかかりやすい、教育を受けた者はある程度までは騙されるけれども、ある程度以上は騙されない。それで支那を騙した方が一番騙しやすい、しかも列国の利害が輻輳しているからそこに火を付けると列国に飛び火して世界を混乱に陥れやすいというのでそこに狙いをつけて、レーニンの晩年から始めて、スターリンになって余計に支那に重きを置いて共産主義宣伝をやるようになった。しかもこれを手っ取り早く成功しない、そうする中にまず時分の足元を固めないと自分が危うくなった。そこでスターリンとトロッキーの争いが起こった。即ちスターリンが一国社会主義の建設は出来るというのに対して、いや世界を全部共産主義にしなければ社会主義国の建設というものは出来ないと言っているのがトロッキーの説で、これがいわゆるスターリンとトロッキーの争いである。その結果とロッキーはロシアを追っぱわれて、まず一国社会主義に立脚したスターリンがロシアの政権を握ってしまった。スターリンはあえて世界革命を止めた訳ではないが、まず自分の足下の一国を固めようというので一国社会主義というものを建設していわゆる国家管理極端な統制主義でやっているのが今日のスターリンの現状である。
 ところが千九百二十年頃は国際共産主義というものは欧州を風靡したのであって、なかんづくイタリアは大戦後共産インターナショナルに非常に虐められた。そして各工場はほとんど共産インターナショナルの占有するところとなった、そこでこれではいかぬというので起ち上がったのが今のムッソリーニである。ムッソリーニはご承知の通りこの国際共産主義を撲滅するには国家主義即ち愛国主義で戦わなければならぬと言って起ち上がった。それが我々日本人の目には今までロシアをあれだけ荒らしてしまい、世界を聞きに導いたようなそのロシアの共産インターナショナルをイタリアの国内においてはムッソリーニが見事に手際よく撃滅した、それがファッショである、愛国主義である、国家主義である、日本もああいう風にして共産主義を撲滅しなければならぬこういう風にファッショを心から良いものだと考えて、それが国体と矛盾するという点には気が付かないでただこの特徴が著しかったためにそれに引き摺られてしまった。つまり日本の国体というものはイタリアとは違っている点に気が付かない、向こうには政体はあるけれども国体はない。向こうには愛国はあるけれども忠君愛国ではない。そこに気が付かないで単に愛国ということならそれでよろしい、こういうような考えになってしまった。殊に愛国心に富む軍人がそれに引き付けられた。ムッソリーニが余り手際良くやるものだから、彼の人格識見と思想の区別はつけないで、国体のある国と、国体のない国の差も分からないで、無条件に唯それに惚れ込んでしまった、即ちファッショというものを恰も日本精神であるかの如く誤認してしまった、そもそもの原因はそこにあるのである。
 私共も前述の如く初めはそう思った。向こうの愛国ということが忠君愛国と違うという点に気付かなかった、しかして日本はどこまでも忠君愛国、君民一体の国柄である。しかるに向こうの方は君の方は第二でよい、いわゆる政府至上主義であり、権力至上主義である、そう言う愛国である。そこに我が国とは大なる差がある。建国の歴史に非常な差があることに気が付かない、ただ当面の一時的争闘を鎮めるために起ち上がった愛国心と、日本の如くこれを古今に通じて誤らず、これを中外に施して悖らぬ、そういう深淵なる建国の原理とを混同してしまった。その根本ははっきりと国体を認識しないからである。向こうは国体なき国柄である、ただ政体だけあって国体のない国である。だから強い者が出ればまた前のを転覆して取ってしまう、理屈をうまくつけたものが新しき思想をつくる。しかるに我が国は千古を貫いてしっかりした大義名分を持って、それに依って物の善悪を区別し万古を貫いて興隆するくにである、ということに気付かない。ムッソリーニが余り手際良く恐ろしき国際共産主義をやっつけたものだからそれに眩惑された点もある。もう一つは日本人の国体に関する認識が確固としていなかった、そこでファッショを見誤ってそれを日本精神だと誤信するようになった。一体人間はよほど注意をせぬと多少の悪口はいわれても、尊氏となって天下を取るのが隙で、大楠公となって湊川で散るのは嫌いである。よほど国体の認識が確かでないと我が国の歴史を見る如く間違いやすいのである。そこで明治天皇が軍隊に賜りたる御勅語に特に「再び中世以降の如き失体なきを望む」と仰せられて武家の勢力政治今日のファッショ政治を戒めていらるるのである。
 そうしていよいよイタリアやドイツがそういう風にして国際主義を討伐した結果を見ると、前述の如くスターリンの一国社会主義と内容においては大差がない、これもまた一国社会主義である。その実行には多少差はある、権力、思想、産業共に政府者の統制に帰するいわゆる国家管理の根本の思想独占の思想においては差違を認めないのである。この点をよく認識して親善関係は親善関係として相互に援助して行くべきであるのに、よいと見ればまた仲良くしようとすれば魂までも投げ出して奪われてしまうところに日本人の間違いがあるのである。
 しかして外部に対する働きには相違がある。ロシアのスターリンのやり方はまだまだ世界革命を捨ててはいない。つまり思想的に共産インターナショナルを一線に立てて、武力の背景の下にいわゆる世界革命をやって行こう、侵略をやって行こうというのである。ところがファッショ国のやり方は武力を一線に立てて、そして国家の発展を企画して行こうというのであって世界革命など考えていない、それで前者は外国から見て思想的に警戒され、、後者は怖がられないのである。そこに防共協定ということも意義があるのである。片方は思想戦をもっていわゆる世界革命をやって行こう、片方は武力でもって建て直しをやって行こう、そう言う所に差があるのである。しかしそれを自由主義国から見ると既に思想的には練れているから、思想的侵略の方法よりも武力で来る侵略の方が彼等には怖い、そこで今度は自由主義国はロシアと一緒になったのがヨーロッパの現状であるが、しかし血は水よりも濃しということわざもあるから我が国は特に注意を要する点もある。彼等は思想においては日本より練れているからいわゆる共産主義の手練手管には罹らない、その点は割に怖くない。ところが力で来られるやつ、腕っ節で来られる奴は怖い、それだからいやでもロシアと一緒になって、その腕っ節を食い止めようというのが人民戦線である。

つづく。

国際共産主義と国家愛国主義の違いはわかりましたか?
 

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