2014年9月18日木曜日

非常時局読本(第十三回)「大義名分を正せる水戸義公」

今回は水戸黄門で有名な水戸光圀公についての話です。

非常時局読本 海軍少将 真崎勝次著
慶文社 昭和14年3月15日発行

77ページより

一三、大義名分を正せる水戸義公

 次に水戸義公に付いてもそう思うのである。彼の「大日本史」を書かれて大義名分をはっきりさせたということは、これは歴史を通じて実に偉大なる功績であると思う。即ち南朝を正統とし、北朝を閏位として、足利は逆賊であり、楠公は大忠臣であるということを明らかにされた。しかも自分は徳川の御三家の一でありながら、徳川は宗家であるけれども君臣の関係ではない。皇室は天子であって、皇室と我々とは君臣の関係だということをはっきりと言っておられる。これは今からいうと何でもないようであるが、当時は非常な困難な事情にあったろうと思うのである。幕府の親戚でありながらそういうことを言われたのであるから大いに困った。幕府よりの迫害を相当受けられたであろうと思うのである。ただし普通の人なればもちろん死刑になったことと思う。だから日本臣民として水戸義公の功績は大義名分上非常に偉大なるものと思うのである。その点を大いに伝えなければならぬのに、近頃活動写真でも、浪花節でも、芝居でも、方々で水戸黄門記をやっておるところを見るが大抵は義公が下情に通ぜられることに努力せられ、また智者であったこと、政治に力を入れられた点等は良く滑稽化して礼賛してあるが、この重要な点はあまり説いていない。これによって見てもいかに人を指導する地位にある人が、或は一般の知識階級の者も、大義名分ということに重きを置いていないか、興味がないか、関心がないかという事をはっきり現しているように思われるのである。これもやはり非常時の大原因である。何時でも大義を忘れるとそうなって来るのは当たり前であるから、どこまでも日本人というものは大義名分を根本にして考えなければならない。日本ではどんな理屈もこの前には服従する。それだから天地と共に悠久に栄えるのである。

 子どもの頃から水戸黄門は良く見ていましたが、水戸光圀公の本当の偉大さを全く知りませんでした。水戸光圀公は日本の「大義名分」というものを日本の歴史から、特に楠木正成の生き方から発見し、後の水戸学を通じて幕末の全国の志士達に多大な影響を与えました。遅まきながら私も「大義名分」を大切にした生き方をしていきたいと思います。
 いつか水戸光圀公が編纂を命じた、漢文で物凄い分量の「大日本史」を読んでみたいです。

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