2014年9月18日木曜日

非常時局読本(第十四回)「大義名分と正義人道」

「力を持つ者が正義」とは限らないのが日本の場合です。権力を握った者も大義名分があったかは死後もずっと判断され続けるのが日本だそうです。

非常時局読本 海軍少将 真崎勝次著
慶文社 昭和14年3月15日発行

79ページより

十四、大義名分と正義人道
 
 大義名分に規尺に適わぬものは如何に理屈をつけても日本に於いては通用せぬ。それで外国に於いてはこれがないから種々の勝手な思想が出るが、日本に於いては日本精神だけが許されるのであって、実は外国のように思想に穏健も中正もなく、ただ正と悪との結論あるのみである。外国では単に正義人道を規尺として物を判別する。ところがこれも詮じ詰めれば何が絶対に正義か、人道に叶っているかわからない。ただ時の勢力家の思想によって定まるのである。それだから外国に於いては雨後の筍の如くに各種の思想が現れ、うまく考えた奴は天下を取る。また力の強い奴は天下を取る。そういう格好になって行くからしてそこに何時でも易姓革命が起こって来るということになるのである。ドイツのベルンハルデイ氏のような人は、大戦前に「力即ち正義なり」と言っている。力を好む武人から見るとこれも道理かと思うのである。少なくとも力の伴わざる正義は正義にあらず位に考えるのである。私どももやはりその当時はそうな風に思った時代があったが、その後種々と思想で辛苦して、考えている間に気が付いたのである。そういう風に「力は正義なり」となって来ると、力の次に来るものは権力である。だから権力を一番重んずるようになる。そこで権力至上主義というものが生まれる。これが今日のファッシズムの根源である。即ち権力至上主義になればそこに武断政治も起こって来る。武は力である。権力である。そこに官僚独裁も起こって来る。権力を持っておるものは一番偉いと思う。所謂英雄豪傑主義が起こって来る、英雄豪傑を崇拝する観念が非常に強くなって来る。従ってまたいわゆる天上天下唯我独尊の思想が起こり、遂には「勝てば官軍主義」にもなる。何でも構わぬ勝ってしまえば良いのだという事になって来て、世の中は混沌たるものになってしまうのである。しかして権力その物が唯心でなく唯物であって結局は経済至上になり物を独占したくなる。外国のような国家では勝ちさえすればよいのであるから、何とか理屈をこねて色々の思想を編み出したり、或は色々の結盟をやって力を作って天下を転覆してしまって、英雄豪傑になる事が許されるのであるが、日本ではそれは大義が許さぬ、国体が許さぬ、一時勝っても後世は足利尊氏になって子々孫々まで排斥される。日本と外国とはこれだけ違うのである。さような主義思想というものは決して長くは続かないのである。覇道で取ったものは覇道で奪われ、暴で取ったものは暴で取られる。それは日本のように永久に天地と共に栄える国とはまるっきり違うのである。まだ詳しくいいたい事はたくさんあるのであるが、あまり具体的に言うと親善国を悪口するような結果になって、事志と違い君国のためにならないから、これ以上は差し控えるけれども、日本の国体と相容れぬ思想である事はよく承知せねばならない。

 この大義名分の考えで言うと、足利尊氏だけでなく、平清盛、源頼朝、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康のような武家政治の権力者でさえ、大義名分を疑われてしまいます。
 「日本精神」「大義名分」については、もっと研究していかなければなりません。
 皆さんはどう考えますか。

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