支那事変の時点で敗戦を予想していた人がいたんです。
なぜあんな無謀な戦争をしたのか、と誰もが疑問に思います。しかしそれは当然の結果だったのです。なぜなら、事前に予想していた人がいたからです。戦争を煽っていたソ連のスパイ尾崎秀実も当然予想していました。その予想していた人は私が好きな真崎甚三郎大将の弟の真崎勝次海軍少将です。この人は海軍で唯一思想研究をし、ロシア革命を直に目撃してきた人です。
その真崎勝次少将が昭和12年8月中旬に牧野内大臣を介して昭和天皇へ上奏したしたのが以下の意見書です。
この支那事変の時点で、陸軍皇道派の真崎甚三郎、山岡重厚、松浦淳六郎、真崎甚三郎の弟海軍真崎勝次少将は、このまま中国に介入していったら、英米ともその内戦争になり、敗戦になることを予想していました。しかし、この時真崎甚三郎大将は二二六事件(昭和11年)の黒幕という冤罪で軍事裁判に起訴され、拘留されていました。真崎勝次少将も二二六事件を起こした将校に激励の電報を打ったという濡れ衣によって、昭和11年3月に予備役にさせられていました。
ちなみに昭和12年7月の盧溝橋事件をきっかけに支那事変(日支事変)が始まっています。
ぜひお読みください。
日支事変に関する所見(現代でも読みやすいように改変)
一、動機不純不明なる事
仮にも我が皇軍を発動させるのであれば、必ず万人が認めるような、公憤を発するに足りる、正々堂々たる大義名分が明らかでなければならない。しかし、今回の事変の動機は、一般人民はもとより、知識階級いや要路の士(重要な地位に着いている人物)といえども、極めて特種の人を除いてはその真因を承知する者は少なく、また事件の直接原因と称する盧溝橋事件についても、巷間既に各種の風説があって、当局の説明を信じていない。
また青島における水兵射殺事件、および上海における大山大尉殺害事件についても、陰謀家の計画的仕打ちであるとさえ言われ、(森伝氏の直に聞いた話である、同氏の所へは憲兵、警察、新聞記者などが多数出入りしている)あえて政府の公式な発表が信じられない有様である。
また海軍当局(軍令部三部長の野村少将)の説明によれば、七月二十八日以前には、国民政府の参謀長は香月(北支駐屯軍司令官)と宗哲元の地方的協定の承認通告のために、既に来平せりという、また当日まで第二十九路軍は平身低頭もっぱら和平解決を祈願していると伝えきいている、しかし香月司令官の二十九路軍の撤退要求の通告期限は七月二十八日正午であったのに、当日午前五時頃より攻撃を開始し、しかも、この時既に我が軍は全部戦闘部署についていたという、また一度出撃命令を発した後、命令を取り消したる等、大義名分が明らかな戦ではありえない醜態を演じた事実をいろいろ考えれば、事件拡大の真因は、果たして、いずれの側にあるのかを、疑う者があるのも無理ないだろう。
この次、事実勃発ならびに田代前北支駐屯軍司令官(註、この人は事変に反対の人)が暗殺されたのだろうという噂は、昨年十二月頃より流布せられている所である、以上の事実と満洲事変、綏遠(すいえん)事件、ないしは、過去における三月・十月事件、士官学校事件(本件は特に世間承知せず)二二六事件等に思いめぐらす時はいろいろ分かることがあって、国内の実相を知る者には、鳥肌が立つような感がある。この回の事変の首謀者並びに陰謀理由としては消息通の間には左のように信じられている(柳川平助、松浦淳六郎氏談)
(イ)某大将、某中将が某北支駐屯軍参謀に、今が北支問題解決の絶好の機会なりと示唆したのであろうと、そうでなければ、朝鮮師団はこんなにも迅速に、事変に即応することはできないであろう、以上の示唆に賛同した者に、武藤参謀本部課長があると、そうして所用の直接の経費も朝鮮総督府より、支出されたのであろうと。
(ロ)北支駐屯軍参謀と(目下国家改造のために東京に来ると)北支にある営利会社との悪因縁。
(ハ)二二六事件に関する軍法会議責任者の責任韜晦(とうかい)作戦(罪なき者を罪せんとせし裁判のごまかし)
(ニ)近衛内閣を倒壊して次期内閣を狙う某大将を主班とする一味に、陰謀と、また成功したらその内閣をもって、国内革新を断行しようとする軍幕僚の支持があると。
二、陸軍部内及び出動部隊の実情。
陸軍部内、殊に本省並びに参謀本部内には、常に確執があって、事毎に暗闘を演じているのは、識者の承知する通りである。そうして本事件後は、大臣以下の責任者はほとんど全部何らの決意成案なく、いたずらに戦々恐々たる有様にして、常に一部の幕僚群に引き摺られて。議論は対立したままで、外部には一致の歩調を取っているように、報道せられあるも、信じるべき確実な情報(山岡中将)によれば、正義派と陰謀派、並びに天気見派との間で意見が対立し、何らの統制もなく、また成案もなく、日々に事態を拡大している有様である、真に君国を憂れいている具眼の士は、この無謀極まる暴挙に対し、悲憤痛惜し、何等かの手段をもって、今日以上事態を拡大させない方針であるが、何分にも、本省並びに参謀本部の要位は、某大将を背景とする陰謀群の占位する所となって、仮にも反対意見を発表すれば、直ちに馘首または本省放逐の悲運に会することによって、口を緘するの腑甲斐ない実情にあるという。しかしながら、このままに事態を拡大すれば、陸軍部内は決して一致団結し得ず、他日また大爆発を惹起すべき趨勢であり、民間伝わっている所によれば、北支駐屯軍内、各種の上官暴行事件、随所に頻発していると。新聞の報道では、皇軍の前進に対して、支那軍は全く、蚊虻の群のように伝わっているが、事実は考慮を要するものがあると。
三、支那の内情観察。
支那浪人並びに陰謀幕僚群の支那に対する観察(海軍も同様なり)は、蒋政権下の国民党政府をさえ討伐すれば、本事変は全く解決するように思惟し、一二ヶ月を経れば、真に膺懲(ようちょう)の目的を達することができるように安買いし、大言壮語して、国民を煽っているが、支那の実情は決してそうではなく、抗日意識もまた、徹底し既に前回の満洲事変に際しても、日本征伐の計画がある。また一方蒋政権が崩壊したとしても(実際は中々倒れないという)少なくも蒋同様の赤色政府が樹立され、人民戦線的に持久策を講ずずるように、この間また列強が支援操縦して、その解決は当局並びに陰謀幕僚群の考えているように、簡単ではないだろう。海軍航空隊が、このように徹底的に爆撃しても、なお屈せず対抗して、敵飛行機の襲来を見ることは、支那中央幹部の士気よりも、寧ろ下級将校に抗日気分が旺盛になると察することが十分であろう。
四、英米の他、世界戦争の決心なくして、本事変に処する事は最大の危険な事である。
現在の陸軍当局間には消極案として、保定の占領を策して、そして事件の一階段としようとする者と、中庸の案として黄河線までの進出を提唱し、また積極案として、南京進出を主張するも、何らの統一した成案がなく、徒に蠢動する陰謀群に引き摺られ、軍を進める実情である。事情に精通する陸軍将官(山岡中将)の意見によれば、既に保定まで進出したが、敵との離脱は中々困難であって、黄河線までの進出には兵力約三十個師団を要する。仮にこれ以上の進出を敵に余儀なくせられるる状況では、最後に那翁(ナポレオン)の露西亜征伐よりも困窮せる事態に陥り、全武力を消費したる際に世界戦争となり、その結果は明瞭にして全くの無謀の沙汰というべきである。上海付近の作戦もまた一味の言っているように五ヶ師団付近の兵力では、前進不可能にして、結局大決心をすることができなければ大失敗を演ずるであろう、南京に至るまでの要塞などもたとえ不完全であるといえども、軽視すべきものではない。
五、海軍の行動に関する件。
陸戦隊の奮闘と航空隊の勇敢なる爆撃とは皇軍の華であり、絶賛に値するが、今日海上に必要なる、かけがえなき海兵を、陸戦に戦没せしめ、やがて、世界戦争を予期することができる本事変に際し、惜しくも海軍飛行機を乱用する事は、最後にほぞを噛むことがあるであろう、なおさら飛行機の爆撃は陸兵の進撃を伴わなければ、最後のとどめを刺せない。一方支那良民の反感を高める功罪について考えなければいけない、しかも兵力を消耗して、最後に列強の干渉が起これば、何をもって之を排撃しようとするのであるか、列強の現状は、日本を消耗戦に陥れ、最後に首を締めようとすることである。
六、ハル長官のの声明。
ハル長官の声明は一見極めて穏健であるようであるが、熟読翫味すればするほど、その決意の堅さを示すものであって、これに対する我が国の回答如何は予想外の結果(戦争)を招来するべきとして、英外相「イーデン」の演説、駐英・米国大使の急遽の帰米等にも注意して、充分に熟慮して成果を得るように回答するべきである。徒に肚なき恫喝的態度をとるべきではない、そうでなければ最後には満洲までも失うであろう。
七、国内情勢。
国内は一見挙国一致、愛国心に燃えているようであるが、詳細に実情を調査すれば必ずしも楽観を許さず、既に物価騰貴による跛行的景気のため、一部の人民は糊口にさへ窮して不平を漏らし、また共産党の地下運動員、優に一百万を算し(憲兵隊調査)慰問袋にさえ宣伝文を封入しその成り行きは軽視することができないと。
結論
以上をもって、その結論は自ら明瞭であるように、本事変は真に国家危急存亡の係る所にして、一日も早く之の解決をするべきである。今日以上、一部の陰謀群に引き摺られて、権力者の統制が利かず、国内の実力、軍の実力を算せず、また支那の実情を誤認し、列強の肚を読み得ず。何事の定見成案もなく、妄進長駆せば、身を抜き差しならぬ泥中に没し、立ち往生の姿勢に陥った時に、列強の袋叩きに会い、光輝ある皇国の前運に不安低迷するに到ることは、火を見るよりも明らかである。そうであれば如何なる手段を講ずべきかを按ずるに、全陸軍を統制し得べき陸軍大臣を得て(元より現役のみにては人物なし)明治時代の前例に鑑み、左記人員の御前会議を奏請して、大方針を決定し、名実肚共に備わった成案を得て、「ハル」長官の声明に回答するべきである。
左記
首相、陸海軍大臣、外相、蔵相、参謀総長、軍令部早朝、元帥、元老、内府(内府待遇)枢府議長。
(註)特に内府待遇を挙げたのは牧野伯を列席させるためである、同氏の外は全部軍閥の傀儡であるからである。
注 下線は私が引きました。
結果的にはこの意見書は生かされず、真崎勝次少将は後に衆議院議員となり、政治活動をしましたが、それでも戦争を止めることはできませんでした。
真崎兄弟は本当に無念だったと思います。
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