2014年5月15日木曜日

非常時局読本(第一回)「近代戦と思想戦」

 私が好きな真崎甚三郎大将の弟の真崎勝次海軍少将による著書である。真崎勝次少将は海軍の中で思想問題を研究されていたほとんと唯一の人である。ロシア革命当時はロシアに駐在武官として滞在し、共産主義の何たるかを熟知されていた。大湊要港部司令官だった昭和11年に二二六事件が起こり、兄甚三郎大将が冤罪で捕縛されたのと同時にやはり青年将校に激励の電報を送ったという嘘によって、予備役にさせられた。
 この「非常時読本」は昭和14年に発行されている。内容が今でも通用する内容だったので、ここに連載し、多くの人の目に触れたいと思う。この本は終戦前はおそらく陸軍によって広がるのを止められ、戦後はGHQによって図書館からも回収されている発禁本である。この本を読んだ事がある人は日本でも本当に少ないのではないかと思う。
 私は古本屋から購入したのだが、表紙はかなり劣化し、開くたびに破けているので、裏は絆創膏だらけである。この連載が終わる頃には本当にぼろぼろになってしまうのではと心配している。
 皆さん、ぜひお読み下さい。

非常時局読本 海軍少将 真崎勝次著
慶文社 昭和14年3月15日発行

一、近代戦と思想戦

 近代戦の特徴が武力戦の外に思想戦であり、外交戦でありまた経済戦であるということは、今日では皆異口同音に唱えておるところであって、今更どうどうを要せない所である。しかしながらよく詮索してみるとこれは何も今日に始まったことではないのであって、昔から名将といわるる人は必ず武力戦を有利に進展せしむるためには、いわゆる思想戦も外交戦も経済戦もこれと併行して実行しておるのである。例えば徳川家康公の大阪城攻略にしても、直に武力をもって落としてはいない。また敵方に回りそうな者に対しては人質を取ってその死命を制するような手段も採っている。支那においては合従連衡の謀略が盛んに行われ、またヨーロッパにおいてもパルチザン戦その他後方撹乱の手段が行われて有利に兵戦を指導して行くというようなことは古来盛んに行われているのである。ただ昔は武士という特別な人のみが戦争に従事しておったので、真に国民の総力戦でなかったために、思想戦も外交戦もあるいは経済戦も今日程戦争に対し重要なる役割を演じていなかったに過ぎないのである。しかして更に突っ込んで考えると、思想戦が近代戦の特徴であるいうよりも寧ろ近代戦は思想戦そのものだと解してよいくらいである。即ち兵術そのものを左右し、外交を支配し、経済を指導し、また戦争そのものの原因をも作っているのであるが、この点については未だ研究の足らない所が多々あるのである。しからば思想がどういう風に兵術そのものを変化せしめ指導しているかというと、一例を挙げれば、孫子も戦争をするには五つのことが一番大事であると申している。即ち第一に道ということを挙げている。その道とは今日でいういわゆる大義名分、戦の旗幟であってこれが一番大事であると言っている。次に時、いかなる時機に戦うかということ、それから地の利、つまりどういう所で戦うかということ、その次には将を選ぶ事の大事である事を説き、最後に法という事を挙げている、法とは今日でいう戦術である。しかしてこの五つの中何の点に重きを置くかということは、その時の政府首脳者や軍の統率者の思想によって変わって来るのである。一番大事な大義名分を忘れて、無闇に地の利や開戦の時機ばかりを焦って戦を始める者もあり、大義名分が立派でなければ戦争をせぬ者もあり、また戦争の時機も土地柄も構わず戦術さへ巧みにやれば勝つと思って無理に戦を指導する者もある。それらは全てその時の当事者や首脳部やないしは一般の思想によって決定されるのである。
 更に詳しくいうと、いわゆる、正攻法を重んじこれを主として戦をするか、または奇襲を主体として戦うかというような事もその時代の思想に支配せられているのであって、これを相撲に例えていうと四つに組むことを建前として取り組み、敵に揚げ足を取る時機があったら気を逸せず揚げ足を取るという風に奇襲を副手段として戦うか、或は奇襲を主として、即ち揚げ足取りを専門にして戦うかというような根本の考えの持ち方も、全てその人の思想によって支配せらるるのである。かくの如く思想そのものが時代の兵術の様式も、または国防そのものの観念様式も、あるいは建艦の様式も、即ち主力艦を主とするか、潜水艦や飛行機に重きを置くかと言う事も、また軍隊の教育も編制も訓練の仕方も全てこれが支配を受けるのである。
 外交にしても同様であって、現に防共協定などといって、(実は絶対的見地に立ち滅共協定でなくてはならぬ)これを現代に日本の外交の枢軸であるかのように言っているごとく、明らかに思想が中心になって外交が行われていることは既に周知の事実である。またその樽俎(そんそ)折衝の方法にしても、やはり思想によって変化する。即ち誠実にやるか、自主的にやるか、或はペテン外交をやるかと言う事も皆思想の支配を受けるのである。
 次に経済の如きももちろんである。即ち自由主義の下における資本主義経済、あるいは共産主義の下における極端な国家管理、統制経済、あるいはファシズムの下における全体主義というような訳で、思想そのものが完全に経済の形態原則を支配しているのである。斯くの如くに思想そのものが戦争を支配し、兵術を支配し、外交を支配し、経済を指導しているのであるから、近代戦の特徴は武力戦の外に思想戦、外交戦或は経済戦であるというよりも、寧ろ近代戦は思想戦だという言ってもよいくらいであるのである。


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