2014年5月17日土曜日

非常時局読本(第二回)「露支侮日の遠因」

 大東亜戦争とは、欧米の自由主義、共産主義と日本精神との思想戦だった?!共産主義者が暗躍し、国家社会主義者が踊らされ、自由主義者は抵抗出来ず、日本精神の一般人は戦場で散った?今も思想戦は続いています。
 歴史とは過去と現在の対話です。
 ぜひ、お読み下さい。

非常時局読本 海軍少将 真崎勝次著
慶文社 昭和14年3月15日発行

6ページより

二、露支侮日の遠因

 今次の戦争の原因について考えてみても、決してこれは盧溝橋やあるいは柳條橋の鉄道爆破あるいは支那人の暴戻なる不法射撃というようなもののみに因って始まっている訳ではないのである。単にそれのみに依って戦争が始まるものであったならば、先般の張皷峰事件などは疾くに日ソ戦争になっているべきはずである。これは一口に言うと時の空気即ち勢いが支配するのである。しからばその時の空気あるいは勢いは何に依って出来るかというと、その時の人の思想、主として国の首脳部たる者の思想に支配されて出来るのである。そこまでよく認識しなければ真の戦の原因を知る事は出来ない。真の原因を知らなければ、適切なる対策も考えられないのである。適切な対策がなければ、聖戦のの結末を正しく解決する事も出来ない相談であって、それでは東洋永遠の平和どころか国内の安泰さえ保持し得なくなる次第である。
 この度の事変の如きは私共は実は大正十年頃から、どうしてもこの一戦は避け難いものだと言う事を予想して心配しておったのである。それで度々当事者に報告もし、注意を促したけれども、万事が欧米万能時代にしてロシアや支那の事は一切馬耳東風に附せられて顧みられなかった訳である。しからば大正十年頃になぜこういう戦が起こる必然性があると考えたかというと、それは例のワシントン軍縮会議時分であったが、あの自分から俄にロシア人や支那人が日本を軽蔑し出したのである。私が使っていた極詰まらぬ支那人さえ、ワシントン会議で主力艦が五・五・三の比率に決定せられた時に私に対して「日本は大きな顔をして支那やロシアに向かって威張っているけれども、アメリカやイギリスの前には五・五・三じゃないか、頭が上がらないじゃないか、弱い者だけには大きな顔をしているじゃないか、もう日本は駄目だ」という事を朝飯を食っておる時に言ったものである。また当時ロシアの「ゴーロスロヂヌイ」(祖国の声)という新聞には日本の外交は東京でなくて、ワシントンで行われている。即ち政治の中心がワシントンにあるというようなことまで書き立てたこともあったのである。そういう風に日本ももう駄目だという考えをつまらぬ支那人やロシア人にまで持たした以上は、日本は駄目じゃないかということを彼等に新たに示さぬ限り将来ロシア、支那において日本人は何も仕事は出来ぬことになる。即ち日清、日露両戦もシベリア出兵も何のためにやったか分からぬことになる。これでは大変だと私は非常に強く心肝に銘じたのである。日本人の中にも一人一人では支那人やロシア人に負ける者がたくさんあるから、駄目でないことを示すには我が国体を基調とする全国民のその団結力に成る大なる力を以て彼等に一撃を食わして反省を促さなければ、このままの和平交渉では徒に彼等を増長せしむるのみであると考えたのである。また彼等はその時分から日本人の思想も大分赤化してほとんど胸の辺りまで真っ赤となって来たから、日本を崩壊に導く事は唯時機の問題だ等と言っておった者もあり、昭和の初め頃には日本の軍隊の赤化工作も略略目的を達した等と、彼等の密偵達の報告にも
あり、また新聞の記事にもあったのである。
 次に愈々第一次ロンドン会議が行われるに及んで、益々彼等は増長して軽蔑し始めたのである。斯くの如く彼等は日本人よりも却って著しく日本人の思想の動向や内部の情勢について注意し常に一喜一憂を感じておったのである。今回の事変の数年前支那人中には日本人の特徴である国体観念につき既に昔日ほどでなく、従って国民の団結力もさほどでなく、恐るるに足らずとして軽蔑的の言葉を弄していた者もあったのである。以上に依って明らかなるが如く今次事変の原因は、一口にいうと欧米の自由主義ないし共産主義と日本精神との衝突であり、特に日本人が日本精神を失ったという所に帰着するのである。それであるからこの事件を解決するためにも先ず日本人が日本精神に還るということが何よりも先決問題であり、何よりも重大要件であるのである。

次回に続きます。二十六回の連載の予定です。お楽しみに。

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